注⑴《ヘラクレスとアンタイオス》《ヘラクレスとケンタウロス》《ヘラクレスとカクス》《ヘラクレスとディオメデス王》《ヘラクレスとエリュメントスの猪》《ヘラクレスとアマゾン王ヒッポリュテ》を指す。関係ではないだろう。ヘラクレスの最後の功業に数えられるこの物語では、ヘラクレスが冥界へ降りた際、冥界の番犬であるケルベロスを、刃物三昧せずに地上へ連れて行くことが出来たことが伝えられる(注23)。すなわちコジモ1世はこの英雄譚を、形式的ではあるにせよシエナ領を─侵略や強奪ではなく─授封した自身の功績と重ねあわせ、直後に委嘱した噴水においてこれを強調的に記念しようとしたと考えられるのである。⑵《天球を支えるヘラクレス》を指す。⑶ヴィンチェンツォ・デ・ロッシは遅くとも1536年までにはバッチョ・バンディネッリ工房に入っており(本稿ではデ・ロッシの修業開始年について、1534年とするウッツの説を踏まえて提示されたシャラートの見解に従う。Hildegard Utz, “Vincenzo deʼRossi”, Paragone, vol. 17, no.197, 1966, pp. 29-36, esp. p. 33; Regine Schallert, Studien zu Vincenzo deʼRossi: Die frühen undmittleren Werke (1536-1561), Hildesheim, 1998, pp. 14-15)、活動の前半はローマを拠点としてバンディネッリの制作に従事するほか、単独制作も請け負っていた。修業時代をめぐる概要は、拙稿(友岡真秀「ジョルジョ・ヴァザーリ『美術家列伝』第二版「アカデミア・デル・ディセーニョ会員伝」よりヴィンチェンツォ・デ・ロッシについての記述」『Aspects of Problems inWestern Art History』第12号、2014年、113-117頁:115-116頁、注⑵を参照。⑷ウッツは、デ・ロッシが1560年末にローマからフィレンツェに帰還した後、1561年から1563年春にかけてフィレンツェの大聖堂内陣席の制作に携わっていたものの、これと並行して1561年にはヘラクレス連作の委嘱を受け、同年中に構想のための素描に着手していたとみている(Hildegard Utz, “The ʻLabors of Herculesʼ and Other Works by Vincenzo deʼRossi”, The Art Bulletin, vol.53, no. 3, 1971, pp. 346-366, esp. pp. 347, 352)。⑸まず1560年代初頭よりヴェッキオ宮殿の改築事業に携わっていた人文主義者ヴィンチェンツォ・ボルギーニがコジモ1世に宛てた1563年の書簡には、フィレンツェの大聖堂造営局にデ・ロッシによる彫像4体が置かれている旨が記されている。彫像の具体的な主題は不明だが、制作途上のヘラクレス連作を指すものとみられている(Claudia Baltramo Ceppi and NicolettaConfuorto, Palazzo Vecchio: committenza e collezionismo medicei, Firenze, 1980, p. 344)。次いで、1568年の『美術家列伝』第2版におけるジョルジョ・ヴァザーリの記述は、委嘱の経緯を伝えている(Giorgio Vasari, ed. by Paola Della Pergla, Luigi Grassi, Giovanni Previtali, and Aldo Rossi,eds., Le vite deʼ più eccelenti pittori e architettori, 9 vols., Firenze, 1967, vol. 6, pp. 247-248)。同列伝におけるデ・ロッシについての記述全体の翻訳は、前掲拙稿を参照。また翌1569年には、彫像2体に対する支払いがデ・ロッシになされている(Herman-Walther Frey, Neue Briefe von GiorgioVasari, München, 1940, p. 180, nos. 14, 15)。そして最も遅い記録は、1584年に刊行されたラファエッロ・ボルギーニの『イル・リポーゾ』における記述である(Raffaello Borghini, Il Riposo, incui della pittura, e della scultura si favella, deʼ più illustri pittori, e scultori, e delle più famose opere― 332 ―― 332 ―
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