⒆ この見解についても、前掲拙稿「ヴィンチェンツォ・デ・ロッシとポントルモ…」2016年、20⒂ Achim Gnann, op. cit., pp. 262-263. この形態は、マルカントニオ・ライモンディに帰属される別⒃ Hildegard Utz, op. cit., 1971, pp. 349-352. またウッツによれば、3体のヘラクレス像が描かれたウィンザー城の素描は、同時代の芸術家が用いた紙葉としては異例の約20×45 cmという大型サイズであるが、これはデ・ロッシが好んで用いた大きさであったとされる。⒄ 現ウフィツィ美術館はコの字型の建築体であり、2階の回廊はヴェッキオ宮殿に接続する東回廊とロッジャ・デイ・ランツィに接続する西回廊が、アルノ河に並行して架けられた南回廊によって結び付けられている。回廊の天井に描かれるグロテスク装飾は、フランチェスコ1世のもとで1580年に東側より着手され、1581年の夏までには南回廊の大部分が制作されたことが支払い記録から明らかになっている。東回廊の第14区画まではアントニオ・テンペスタを中心として制作されたとみられ、その他はこれを引き継いだアレッサンドロ・アッローリ工房の手に帰されている。なお西回廊の装飾はコジモ3世時代に仕上げられた。本文で言及したヘラクレス像は、東回廊第29区画に描かれているため、アッローリ工房のもとで仕上げられたとみられるが、作者の同定は困難である。この天井画装飾についてはSimona Lecchini Giovannoni, Alessandro Allori, Torino, 1991を参照。⒅ デ・ロッシによる「ヘラクレスの12功業の噴水」計画の初期構想におけるポントルモからの形態の借用については、前掲拙稿「ヴィンチェンツォ・デ・ロッシとポントルモ…」2016年、20-39頁を参照。⒇ 本稿では割愛するが、本素描に描かれた噴水の基壇と中段の水盤の間に二段で構成される、海馬に跨がるプットーたちとウミヘビを伴うトリトーンの描写についても、デ・ロッシに特有の躍動的なうねりの表現を示している。 トリーボロが制作した水盤は、現在ボーボリ庭園内イゾロットに置かれるジャンボローニャの Giorgio Vasari, op. cit., 1967, vol. 8, pp. 49-50. 邦訳は前掲拙稿、2014年、114頁を参照。 「彼〔ヘラクレス〕がプルートーンにケルベロスを求めた時に、プルートーンは彼の持っている武器を使わないで圧伏して連れ出るように命じた。彼はケルベロスをアケローンの門で発見して、胸当てをつけ、獅子の皮で身を蔽い、犬の頭を両手で抱き、尾にある竜に噛まれたけれども、いうことをきくまでは猛獣をつかみしめることをやめなかった。そして彼はそれを伴ってトロイゼーンを通って上った。」Grammaticus Apollodorus, Bibliotheca: The Library, trans. by James George Frazer, 2 vols., Cambridge, 1921, vol. 2, V: 12[邦訳:アポロドーロス『ギリシア神話』高津春繁訳、岩波文庫、1953年(1993年、第55刷)、102-103頁]のエングレーヴィングにおいても複製されている。-39頁を参照。《オケアヌスの噴水》に用いられている。― 334 ―― 334 ―
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