を拳にするが、左足を上に安坐のような姿勢である点は『別尊雑記』本と異なる。また大きな冠を被り、頭髪は左右に広がり長い。着衣に注目すれば、上裸で、裳は膝上まで上がり、膝から下を見せており、『別尊雑記』本の方が大人しい姿態である。このような遮文荼を図像類から見出すならば、胎蔵旧図様第二重ならびに第四重の「遮文吒」に相通ずる。頭部を右に向け、『別尊雑記』本とは左右逆となるが、着衣や小さめな頭飾をはじめとする装身具、坐法などは現図系胎蔵界曼荼羅より、むしろそれに先行する胎蔵旧図様に近似する。さらに『別尊雑記』本の遮文荼が短い頭髪を逆立てる点では、胎蔵旧図様第二重がより近似していよう。聖天は象頭人身で現図系胎蔵界曼荼羅では外金剛部院の北方に置かれ、焔魔天とは遠い位置にある。その図像は左手に蘿蔔、右手に鉞斧を執っており、『別尊雑記』本とは異なる。『別尊雑記』本のごとく戟を執る図像は、胎蔵旧図様第二重の「毘那夜迦」がある。なお、戟を持った毘那夜迦(聖天)の図像は胎蔵曼荼羅では、胎蔵旧図様第二重のみで、胎蔵図像、胎蔵旧図様第四重、四種護摩本尊及眷属図像、叡山本大悲胎蔵大曼荼羅などにも見出せない。このように『別尊雑記』本の聖天と胎蔵旧図様第二重の毘那夜迦が限定的に一致することは、『別尊雑記』本の成立を考える上で示唆的である。また遮文荼と聖天は現図系胎蔵界曼荼羅では、それぞれ外金剛部院の西方と北方に配され、焔魔天とは距離をとる形となるが、胎蔵旧図様の第二重では焔魔天と同じく南方に配される点も興味深い。猪頭人身と象頭人身の組み合わせは、燉煌壁画等の千手千眼観音図に頻繁に見え、火頭金剛(烏枢沙摩明王)と青面金剛の足元にはそれぞれ猪頭人身と象頭人身が配される。その他、フランス国立図書館所蔵の「Deux vināyaka」図像では猪頭人身と象頭人身が向き合う図像で描かれる。また『覚禅鈔』巻一〇五「聖天」には「以古本図之」と書き入れた二身猪頭象頭像を収め、両者の関係性は深い。絵画作例では滋賀・園城寺本黄金剛童子画像に猪頭人身と象頭人身が眷属として表される。また岐阜・来振寺本五大尊画像や『別尊雑記』巻三十三に収める智証大師請来様とされる五大明王のうちの軍荼利明王に合掌する猪頭人身が描かれ、東京国立博物館本烏枢沙摩明王図像や奈良国立博物館本烏枢沙摩明王画像にも、後ろ手に拘束され跪いた猪頭人身が描かれる。なお烏蒭沙摩明王を本尊とする烏蒭沙摩法は台密専修の法という(注28)。以上、『別尊雑記』本の荼吉尼、成就仙、遮文荼、聖天の4尊について像容を確認した。荼吉尼と成就仙には台密系図像と近しい関係にある可能性が指摘でき、遮文荼と聖天はその図像が円珍ゆかりの胎蔵旧図様と一致し、猪頭人身と象頭人身という像― 345 ―― 345 ―
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