鹿島美術研究 年報第35号別冊(2018)
361/455

㉝ 橘小夢の作品と伝記に関する総合的調査研 究 者:秋田県立近代美術館 学芸主事  奈 良   香はじめに秋田県出身の橘小夢(本名:加藤凞、1892-1970)は、大正期から昭和中期にかけて、雑誌・書籍の挿絵や装幀、版画・日本画の制作をはじめ、舞踊詩の作詞や衣装デザインなど多彩な活動をした画人である。竹下夢二らが一世を風靡した大正ロマン・昭和モダン全盛期に、妖艶耽美で幻想的な画風を確立し、挿絵画家として名を馳せた。しかし、生来の心臓病によりたびたび制作の中断を余儀なくされたこと、中央画壇と距離を置き一部の愛好家向けに作品頒布を行っていたこと、度重なる不遇により画集出版の機を逸したこと、関東大震災や東京大空襲などで多くの作品が焼失したことなどにより、生前、画業の全容が広く知られることはなかった。没後は、ご遺族による地道な資料整理・調査活動が続けられ、平成5年(1993)には東京都文京区の弥生美術館で大規模な個展が開催された。また、平成25年(2013)には同館で二度目となる個展が開催されると同時に、小夢にとって初となる画集も出版されている(注1)。秋田県立近代美術館においては、平成6年(1994)の開館以降、調査のために来秋されたご遺族との交流が続いており、平成28年(2016)に特別展「橘小夢とその時代─幻の画家、ふるさとに咲く」(主催:秋田魁新報社・秋田県立近代美術館)を開催するに至った。しかし、展覧会準備の過程において、未だ確認されていない作品・資料が少なからず埋もれていることを実感し、以降の課題として残された。本研究では、はじめに、小夢の生涯をたどり、小夢芸術が形成される過程と背景を考察するとともに、各分野における表現の推移と特性を明らかにしたい。次に、今回の調査で新たに発見された作品を取り上げ、これまで現存が確認されていた作品・資料とともに作品集(別添)の形に集約したい。最後に、当時の画壇や欧米美術との影響関係を考察し、小夢の美術史的な位置付けを試みたい。第1章 小夢の生涯と各分野の表現の特性橘小夢は、明治25年(1892)、漢学者であり秋田魁新報社で要職を務めていた父・加藤則幹と母・キヱの長男として秋田市に生を受けた。心臓弁膜症のため生まれつき体が弱く、幼い頃より錦絵を見たり絵草子を読んだりすることに楽しみを見出していたという。小夢が6歳の年(1898)、妹・スヱの出産時に母が他界し、ほどなくして― 351 ―― 351 ―

元のページ  ../index.html#361

このブックを見る