ビアズリーは、小夢が最も影響を受けた画家の一人であり、白黒のコントラストや流麗な描線のみならず、退廃的で官能的な表現にも追随する点が多い。また時には、蛇や人魚など、世紀末美術において重要なモチーフも取り上げられた〔図10〕。しかし小夢の絵を最も特徴づけたのは、その主題の多くが日本に土着の物語であったことである。狐や蜘蛛、化け猫やコウモリなど日本の奇譚で存在感を放つモチーフが小夢の絵にはたびたび登場する。西洋の斬新と日本の幽玄を併せ持つ小夢の絵は、江戸川乱歩など独特の世界観を持つ作家たちをも魅了し、その交流の中で《押絵と旅する男》〔図11〕などの作品が描かれた。5)衣装・着物デザイン第二次大戦中から戦後にかけて、物資不足が深刻さを極め、小夢の描く妖艶耽美な美人画が受け入れられなくなってくると、小夢は舞踊詩の作詞や衣装デザイン、また三越呉服部から依頼された着物のデザインなどで生計を支えるようになる。戦争画を描き、時代を生き抜くという道を小夢は選ばなかった。意図する制作がままならないのであれば、生計を立てる手段は他の方法を、とした考えも、己の信念に基づいたものだったのだろう。第2章 新たな作品・資料の発掘前述したように、橘小夢は大正8年(1919)に秋田県湯沢市で作品頒布会を行っており、昭和初期には東京でも頒布会の開催や版画作品の自費出版等を精力的に行っている。平成28年の橘小夢展の準備中には、弥生美術館の働きかけや当館に寄せられた情報などにより、県内で5点の新出作品が発見された。そして、本研究のための調査を行った平成29年(2017)5月から平成30年(2018)の4月までに、県内外で3点の新出作品が確認されている。1)《兜》制作年不詳 絹本着色 軸装 39.6×33.0㎝〔図12〕この作品は、秋田県仙北郡の美郷町学友館より情報提供を受け、平成29年(2017)5月に調査が可能となったものである。同町の等心寺に所蔵されていた。等心寺からは翌年4月に、小夢のルーツに関わる資料の提供も受けている。今回発見された《兜》と類似の作品が、ご遺族のもとにも残っている〔図13〕。図13の作品は孫の節句を祝って描かれたものであり、図12の作品も同様の依頼があって制作されたものと推察される。― 356 ―― 356 ―
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