また、ルーツに関わる資料の方には、小夢の高祖父・加藤武右ヱ門、曾祖父・加藤武右ヱ門、祖父・加藤永藏が、代々、秋田藩主・佐竹氏の一門として横手を治めていた戸村氏の家人であったことが記されている。特に、高祖父が仕えた第9代横手城代・戸村義敬(1745-1819)と、曾祖父が仕えた第10代横手城代・戸村義通(画号:後草園、1768-1854)は、ともに文化活動を奨励した人物として知られており、この2人の後押しを受けて、地元農家出身の画人・佐々木原善が、江戸や長崎に赴いて絵の研鑽を積んだとも伝えられている(注8)。戸村氏家人であった加藤家も、学術的・文化的に高い素養を身に付けられる環境にあった。これまでもご遺族の調査により、戸村家・加藤家の菩提寺である横手市の龍昌院に残された資料から「加藤家のルーツは水戸にあり、佐竹氏に随行して秋田へと移り住んだ」と考えられていたが、今回の資料はその情報を補足するものとなった(注9)。2)《紫式部妄語地獄・恵心僧都尊菩薩来迎》昭和15年頃 絹本着色 2曲1双各163.5×159.0㎝〔図14〕この作品は、弥生美術館からの情報提供を受け、平成29年(2017)12月に調査が可能となったものである。神奈川県横浜市の個人宅から発見された。本作の構想図〔図15、16〕は小夢のご遺族が所蔵しており、これまでは別々の作品として考えられていた。しかし、本作が同じ木箱に収められていたことや落款などから、対で描かれた可能性が高いと考えられる。左隻には、仏教の「不妄語戒(嘘をついてはならない)」に背き、『源氏物語』という架空の物語を書いて民衆を惑わせ、地獄に墜ちたとされる紫式部が描かれ、右隻には平安時代中期の天台宗の僧・源信(尊称:恵心僧都)が描かれている。源信は、『源氏物語』の中で「横川の僧都」のモデルとなった人物とされる。小下図と見比べると、紫式部の背後に配された巻物の形状が変わっており、画面に一層の広がりが感じられる構図へと描き直されたことが分かる。東京都内で頒布された小夢の作品は、関東大震災や東京大空襲などにより、焼失したものも少なくない。本作も、戦火を逃れた倉庫の中に保管されていたといい、奇跡的に現存していた作品といえる。3)《紅梅美人図》制作年不詳 絹本着色 軸装 123.3×32.8㎝〔図17〕本作は和歌山県橋本市の個人宅に所蔵されていたものである。平成30年(2018)3月に、小夢が画家として活動を開始した大正初期の資料を収集していた際に、『新興― 357 ―― 357 ―
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