ロテスク装飾枠である。この装飾枠には、モチーフを幻想的に組み合わせたグロテスク文様が取り入れられている。グロテスク文様は、15世紀末のローマで流行した装飾で、この時期に発見された皇帝ネロのドムス・アウレアの壁画から着想を得たものだ(注9)。アントニオがローマ関連の写本を制作したであろう1490年代頃は、ちょうどこの装飾がローマで流行していた時期に当たる。だが、グロテスク文様は素描などを介して芸術家たちが様々な地域に導入したため、アントニオがこの文様を取り入れたとしても、それだけではローマでの制作活動の裏付けとして不十分だろう。ところが、アルベルティーナの装飾枠には、画家とローマのアラチェリ教会の縁を思わせる特別な図像が組み込まれている。左右のメダリオンには聖母子と紙片を手にした女性が描かれており、この女性は手にした紙片から、ティブルのシビュラ(SIBILLA TIBVRTINA)であることがわかる〔図12、13〕。中世以来、古代の巫女シビュラはキリスト出現を預言した者たちと解釈され、旧約聖書の預言者同等に見なされた(注10)。15世紀末のイタリアでは、ドメニコ会士フィリッポ・バルビエーリが著した書物にシビュラに関する論考が含まれ、そこに巫女を表した木版画が添えられていたことで図像が普及した。1480年代から90年代にかけて、ヴァティカン宮殿のアレクサンデル6世の居室「ボルジアの間」の一室にシビュラたちが描かれたほか、ギルランダイオやペルジーノもサンタ・トリニタ聖堂(フィレンツェ)やコレッジョ・デル・カンビオ(ペルージャ)にシビュラを描いた作品を残している。写本分野では、テキストに記されたキリストの生涯を預言したことを暗示するため、預言者たちが装飾欄に描かれてきたが、15世紀末にはシビュラも同様に描かれるようになった。例えば、1490年前後に制作されたヴァティカン図書館所蔵の聖務日課書(Urb. lat. 112, f. 7v)やミサ典書(Barb. lat. 614, f. 13r)では、紙片を手にしたシビュラたちが装飾欄に描かれている〔図5、6〕(注11)。アルベルティーナのティブルのシビュラも、当時の一般的な写本装飾のレパートリーの一例ではあるが、この紙葉では預言者として以上の意味が込められている。というのも、ティブルのシビュラは、反対に位置する聖母子像と一対の図像として着想されているのである。向かい合うメダリオンが一対の図像であることは、ポール・ゲッティー美術館作品両脇のメダリオンに、受胎告知のガブリエルとマリアがそれぞれ描かれている例にも確認できる〔図4〕。一対の図像として描かれたティブルのシビュラと聖母子は、この写本が保管されていたサンタ・マリア・イン・アラチェリ教会の縁起を描いたものであろう。ヤコブ― 366 ―― 366 ―
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