また、教皇周辺で制作された写本にも、これらの象徴図案が多く利用された。教皇のクリスマスミサ典書〔図9〕や、アレクサンデル6世の親族が制作させた『グラティアヌス教令集注解』の扉絵(ヴァティカン図書館、Vat. lat. 2260, f. 29r)〔図8〕では、装飾部分やイニシャルに3つの象徴図案が使われている(注21)。キエーティ大司教区が保管するジョヴァンニ・ボルジア枢機卿のミサ典書では、至る所にボルジアの赤い牛が装飾モチーフの一部として描かれている〔図 10〕。さて、フラ・アントニオが描いた「ペンテコステ」に戻ろう。この場面では、ボルジア家を思わせるモチーフは、教皇のプロフィール肖像を描いたメダリオンのみである。美術品にしつこいほど一族の象徴を利用していたアレクサンデル6世のための作品としては異例であるように思えるが、実際にはファルパスと二重冠が描かれている。「炎のような舌」が使徒達の頭上に描かれなかった代わりに、聖霊の出現を暗示するものとして天井から「波打つ炎」、つまりファルパスが描かれた。同様に、本来描かれるはずの聖霊の鳩が欠けている代わりに、聖母の頭上にはアラゴンの二重冠を想起させる冠が描かれている。聖霊を表すファルパスとアラゴンの二重冠が描きこまれることで、控えめではあるが、一族の象徴図案がペンテコステの場面に違和感なく組み込まれている。このような表現は、壁画や写本などの装飾やグロテスク文様において、モチーフを自由に組み合わせる創意工夫と通じるものであり、画家はこのような造形上の遊びを行うことで、アレクサンデル6世の顕示欲をさりげなく刺激する仕掛けを作品に込めたのだろう。このようなアラチェリ教会に通じる図像、ボルジア家の象徴図案を写本に盛り込む方法は、ローマ周辺で目にすることのできた壁画や写本などの美術作品に触れる機会があってこそ、着想されうるものである。アルベルティーナの紙葉に描かれたアラチェリ教会の伝説、そして二重冠とファルパスは、これがローマで制作されたものであることを反映しているのである。結論ロンバルディア派の写本画家フラ・アントニオ・ダ・モンツァがローマで制作した可能性のある写本装飾画に対して、近年では否定的な意見が提示されていた。本稿では、アルベルティーナ所蔵のフラ・アントニオが描いたグロテスク装飾枠と「ペンテコステ」に、ローマのアラチェリ教会の縁起を表す図像と、写本制作に関与した教皇ボルジア一族の象徴図案が盛り込まれていることを指摘した。図像にこれらの特殊な図を組み込む手法は、先行作例を参照することのできるローマでこそ受容可能な着想― 369 ―― 369 ―
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