㉟ 19世紀後半のフランス陶磁と産業/装飾芸術振興運動研 究 者:お茶の水女子大学大学院 人間文化創成科学研究科 博士後期課程1.本稿の趣旨19世紀フランスを代表する陶芸家の一人、テオドール・デック(1823-1891年)〔図1〕は、日本では主にジャポニスム〔図2〕や画家ラファエル・コラン(1850-1916年)との共同制作〔図3〕の文脈で取り上げられることが多いものの、その活動の全貌は十分に知られていない(注1)。しかしながらデックは、それだけに止まらない幅広い活動を行った陶芸家であり(注2)、同時代、そして現在においても、依然その功績は称えられ、展覧会も数回開催されている(注3)。そこで本稿では、その多彩な制作活動を、19世紀後半の産業/装飾芸術振興運動も踏まえつつ、改めて振り返ることとしたい。2.デックの生涯デックは1823年1月2日、アルザス地方のゲブヴィレールで生まれた。デックのキャリアは、1841年、ストラスブールの有名なストーブ製造業者ユジュランの徒弟として始まる。その様子は次章で後述するが、この経験が後のデックの陶芸活動へとつながっていく。ヨーロッパ各地で修行を積んだ後に働いたパリのストーブ製作所では、その実力を発揮し、製作所を1855年パリ万国博覧会(以下、万国博覧会は「万博」と記載)における受賞に導いたとされており(注4)、彼の制作技術が、既に万博で通用するレベルにあったことが判る。翌年には、弟グザヴィエとともにパリ11区でファイアンス工房を営み始め、1858年には14区に正式に設立する。制作概要は次章で考察するが、デックは陶器制作で名声を確立すると、晩年の1880年代には磁器の制作も手掛けたほか、冒頭で触れたコラン等、芸術家との共同制作にも従事した。共同制作では基本的に芸術家が図案を作成しているが、一方で、花鳥等をテーマにしたデックによる図案も数点確認されており、共同制作用か判らないものの、デック自身も図案を作成していた状況が認められる(注5)。デックの制作は、単独、共同の別を問わず、同時代において高い評価を受け、1878年のパリ万博における大賞をはじめ、19世紀後半の他の万博や産業応用美術中央連合主催の展覧会における受賞歴もあり、1874年及び1878年にはレジオン・ドヌール勲章を受章している。他方、デックは陶芸振興にも積極的に関与した。例えば、1864年に産業応用美術中― 375 ―― 375 ―志 水 圭 歩
元のページ ../index.html#385