さて、デックがパリに工房を設立した19世紀後半では、イスラーム美術や中国美術、日本美術等への関心が高まり、歴史主義や折衷主義が時代を席巻していた。デックも例にもれず、こうした美術に高い関心を寄せている。例えば、作品〔図9〕は、デックがペルシア陶器の色彩に惹かれ、その再現を図ったものであり、図案は、アダルベール・ド・ボーモン作成の素描集(注9)から採用されている。こうした素描集は、産業/装飾芸術振興の気運の下、作家の制作見本が求められる中で数多く作成されており、デックも本作に限らず多くの図案を活用した。デックは本図案を基に、文様への色の配し方等を変えながら類似品を数点制作している (注10)。ここで少し色彩と焼成の関係について触れておくと、陶芸作品では、構想段階の色彩が、焼成後そのままに表現されるとは限らない。望む色彩の実現には、化学知識や焼成温度のコントロール、釉薬等の調合技術の向上が欠かせず、それには経験を積む必要がある。こうした類似品の数々は、求める色彩のための、デックのたゆまぬ制作努力を物語っているのである。また、デックはジャポニスムにも興味を抱いており、例えば作品〔図2〕では、その構図のみならず、古九谷様式の青手の色彩を、表裏双方で再現しようとしている。今井祐子氏が既に指摘しているとおり(注11)、本作品は日本の絵画ではなく、日本の陶磁器そのものから影響を受けた例として、重要である。本作についても類似品が存在しており、図2以外では、少なくともウンターリンデン美術館、ヴィクトリア&アルバート美術館及びカンティーニ美術館の所蔵を確認している。デックが、日本美術のモティーフや構図に止まらず、その鮮やかな緑や黄色の色彩の実現に興味を持っていたことが判る好例と言えよう。デックは、色彩の再現のみならず、オリジナルの釉薬も考案しており、中でも1860年代初頭に、ペルシアのタイル片からヒントを得て創り出した透明で艶のあるトルコブルー色の釉薬「ブルー・デック」〔作例:図10〕は、デックの名を冠するほど知られている。同時代のフランスの様々な陶器工房でも類似の釉薬が用いられており、デックの影響力が窺える(注12)。また、釉薬そのものではないが、釉下に金地を施す技法〔作例:図3〕を考案しており、1878年にパリ万博に初めて出品された際に絶賛されている(注13)。他の共同制作における作例は次章で後述する。この他にも、隣同士の釉薬が混ざらないように輪郭線を設け、その囲みの中に釉薬を配する技法「縁取り釉」〔作例:図11〕も考案しており、デックの著書によれば、1874年の産業応用美術中央連合主催の展覧会に初めて出品したとされている(注14)。以上を小括すれば、デックは作品や素描集を通じて多様な美術に触れる中、その色彩の再現のみならず独自の色彩をも編み出し、高い評価を得ていたと言えるだろう。― 377 ―― 377 ―
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