鹿島美術研究 年報第35号別冊(2018)
389/455

ヒエラルキーの確保を強く主張するなど、激しい議論が交わされた。そのような中、セーヴル製作所は磁器の芸術性を高めるために、芸術学校で学んだ画家を外部から招いて改善を図ろうとし、アモンもそのうちの一人であった。磁器という支持体に不慣れなアモンの絵付けは当初製作所で不評だったが、製作所で手ほどきを受けて要領を会得し、最終的には評価された様子が、先行研究で指摘されている(注20)。その後、諸芸術の統合や、用と美の融合が唱えられ、先述のように、社会全体で産業/装飾芸術の振興が本格化した。第二帝政下では、共和政期の改良委員会は廃止されてしまったが、陶芸界では陶磁器固有の芸術が模索され続けていた。第三共和政に移行すると、閉鎖に直面したセーヴル製作所には、1872年に、製作の現状を検証し、議論した上で管轄行政機関に報告する製作改良委員会が設けられ、陶磁器芸術の刷新が図られた。1875年の報告書では、「タブロー画は結局、陶磁器の装飾にとって部外者であるべき侵害者であり、逆方向を向いているのだ」と記されており(注21)、陶磁器に固有の装飾性自体は19世紀半ばから探求されているものの、1870年代中頃には、絵画的特質からの脱却がより一層唱えられた状況が窺える。第2章で触れたとおり、デックは同委員会のメンバーに任命されており、こうした主張を身近に感じながら、彼なりの芸術家との共同制作の在り方を模索したものと考えられる。ではここで、共同制作品を幾つか考察したい。事例には、第3章で触れたとおり、デックの陶芸活動の原点となったタイル制作の展開を見ることができる作品や、装飾効果の点で興味深いものを取り上げる。まず、装飾タイルの作例を見る。第3章でみたとおり、デックは当初、連続文様の陶器タイルを制作していたが、1876年には画家エドモン・ラシュナル(1855-1948年)と私邸の浴室の壁面装飾を手掛けている。作品〔図12〕は、私邸が取り壊される際にフロリヴァル博物館に移築され、現在常設展示されている。壁面に敷き詰められた陶器タイルは一つの大きなカンヴァスを作っており、絵付けされた風景にはジャポニスムの要素が認められる。本作のタイルは第3章で検討した連続文様ではなく、一つの絵画を成している点が特徴的である。デックはこうした私邸装飾の一方で、1870年代以降、万博という公的な場において、1878年、1883年及び1889年と、少なくとも3度に亘って会場内の建築の装飾パネルを制作している。例えば《絵画(peinture)》〔図13〕と《彫刻銅版画(gravure)》〔図14〕は、1878年パリ万博で芸術館の正面玄関を飾った装飾パネルで、デックが背景に金地装飾を施したことが判っている。残念ながら本作は現存していないが、デックの建築装飾への試みを知るために有意義な作品と思われるため、同時代資料の図版〔図13、― 379 ―― 379 ―

元のページ  ../index.html#389

このブックを見る