鹿島美術研究 年報第35号別冊(2018)
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14〕を基に検討するものである(注22)。本作は画家フランソワ・エールマン(1833-1910年)が構想し、金地の背景に、画家ジュール・ルグラン(生没年不詳)が絵付けしたとされる(注23)。各パネルとも、擬人像の左下にエールマン、右下にデックの名があるが、絵付けしたルグランの名前は確認できなかった。なお本作には、1883年アムステルダム万博でフランス委員会の建築を装飾した類似パネルがあり、今回その作品情報が確認できたため、本作のイメージを掴むためにここで参照したい。パネルの大きさは縦302センチメートル、横121センチメートルであり、タイルを敷き詰めてパネルを作り出した様子が目録上の図版から確認できた(注24)。一定の大きさ以上の平らな陶器の板が焼成時に反ってしまうことを考慮すれば、1878年パリ万博でも、パネルの画面は装飾タイルを敷き詰めて作り出されたと推測できる。そしてその前提に立つなら、「芸術館」という建築の壁面において、伝統的な芸術である「絵画」と、その絵画の複製に用いられる「彫刻銅版画」の寓意像を表現するために、産業/装飾芸術に「分類」される多彩色の陶器タイルが、各国が産業を競う万博という舞台で支持体に活用された点は興味深く、見逃せない。ではここで、本作に関する批評を見てみたい。(注13)のとおり、本作はコランとの共同制作品〔図3〕等とともに、金地装飾の技法を絶賛されたが、ここでは同技法以外についての批評を幾つか取り上げる。1879年には、装飾美術館協会のヴィクトール・シャンピエから、「陶磁器がいかに力強い支援を建築にもたらすことができるか示しただけでも、フランスの陶芸家の中では、我々はまずデック、ルブニッツ、パルヴィエ、そしてブーランジェの名を特に挙げなければならない。」と賛辞を受けている。また、先述したセーヴル製作所の製作改良委員会の活動にも関与したエドゥアール・ジェルスパックからは、「1878年の万博では、デックは大規模な装飾について理解していることを建築家に証明した。デックは芸術館の正面の一部を光景と人物で覆っているが、それは十分に検討され、そして実践された。こうした装飾が何らかの公共建築に適用されないことは残念ではないだろうか?」と評されている(注23)。これらの批評を見るとき、デックの装飾パネルが、単に金地装飾という技法のみならず、建築装飾の観点でも評価されていることが判る。そしてその評価は、陶芸界に限らず、装飾芸術の専門家からも寄せられていた。本作は、当時の建築装飾の需要と関心の高まりに、デックが自己の陶器制作をもって見事に応えた事例の一つと言えるだろう。最後に、装飾効果等の点で興味深いと思われる作品《画家ラファエル・コラン(推定)の肖像》〔図15〕を検討したい。制作理由や受容状況は確認できなかったが、本作は1880年頃、コランとデックによって共同制作された(注25)。先述のようなタイ― 380 ―― 380 ―

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