鹿島美術研究 年報第35号別冊(2018)
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注⑴ 「草堂寺派頭証文写」は、原資料の所在が現在明らかでないが、白浜町誌編さん委員会編『白浜町誌』資料編(白浜町、1980)375頁に翻刻が載る。また、同様の内容が白石虎月編『東福寺誌 開山700年御遠忌出版記念』(思文閣出版、1930初版、1979復刻)や、「天保十四年癸卯年七月紀伊国草堂寺末寺改帳」(東福寺文書通番1182号)に見えるほか、明治28年(1895)頃の「草堂寺取調書」(草堂寺蔵)にも「草堂寺ハ紀州東福寺派ノ頭タリシ事」として書上げられる。草堂寺所蔵資料は、2016年に開催した、和歌山県立博物館特別展「蘆雪潑剌─草堂寺と紀南の至宝─」の事前調査で確認し、一部を同展および図録にて公開した。⑺ 安永拓世「応挙と芦雪と草堂寺」(和歌山県立博物館編・発行『文人墨客─きのくにをめぐる⑵ 雑賀貞次郎『南紀熊野の説話』(紀南の温泉社、1934)。⑶ 前掲注⑴『白浜町誌』、361~362頁。⑷ 土居次義「蘆雪と南紀」(『美術工芸』14、1943)、山川武「長澤蘆雪とその南紀における作品」(『国華』860、国華社、1963)、和高伸二「南紀寺院の長澤蘆雪画─蘆雪芸術の実像追究への試み─」(和歌山県立博物館編・発行『南紀寺院の長澤蘆雪画』、1974)、前掲注⑴『白浜町誌』など。⑸ 和歌山県西牟婁郡串本町編・発行『串本町誌』、1924。⑹ 目良碧斎『熊野雑誌』1888刊、『串本町誌』1924刊、『紀伊国名所図会』熊野篇・1937~43年刊など。『紀伊国名所図会』熊野篇は、文化8年(1811)刊行の同書初編を著した高市志友(1751~1823)の遺稿に基づいたものだが、熊野篇凡例には次のようにあり、成立経緯や刊行時期に注意して参照する必要があろう。「故人の稿本は(中略)多くは未定稿にして、或は省略に過ぎ、或は重複の箇所の随所にありて、元より完本とは云ひ難し、故にいま校合に当り魯魚の謬りを訂し足らざるを補ひ、以て聊か私意を加へ置けり、看者これを諒されたし」。⑻ 「鷹図」は、MIHO MUSEUM編・発行『長沢芦雪 奇は新なり』2011、184頁図版84および289⑼ 棟札についての詳細は、楠本慎平「芦雪の南紀来遊伝承とその考証─草堂寺・令温手記の再検討─」(白浜町誌編さん委員会編『白浜町誌』資料編、白浜町、1980)354~357頁および坂本亮太執筆「資料解説」26(和歌山県立博物館編・発行『蘆雪潑剌─草堂寺と紀南の至宝─』2016、146頁)を参照。⑽ 宮島新一「芦雪の童心」(『和歌山県立博物館研究紀要』6、和歌山県立博物館、2001)。⑾ 山川武「長澤蘆雪傳歷と年譜」(『国華』860号、国華社、1963)に紹介される。⑿ 前掲注⑼楠本論文、366~367頁。⒀ 現状屛風装2曲1双。画面両端に引手痕があることと、草堂寺に残る明治期の記録「草堂寺取調書」(明治28・1895年頃)および「草堂寺宝物古文書什器目録」(明治29・1896年)に、「人期し、引き続き調査研究を行っていきたい。付記調査にあたり多大なご協力を賜りました、磯﨑泰寛住職をはじめとする草堂寺の皆さまに、心より御礼申し上げます。─』2007)46~47頁にもふれられる。頁作品解説を参照。― 393 ―― 393 ―

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