武田光一「池大雅の指墨について」(『東京芸術大学美術学部紀要』14、1979、1~32頁)。 前掲注、武田光一論文。 福士雄也執筆作品解説(京都国立博物館・読売新聞社編『特別展 池大雅 天衣無縫の旅の画物ノ図 墨画 蘆雪筆 本堂拝ノ間襖四本」などの記載があることから、この絵は草堂寺本堂仏間の南北面を飾る襖であったと考えられる。草堂寺に残る明治期の記録については、大河内智之執筆「資料解説」80~82(前掲注⑼『蘆雪潑剌』)、拙稿「草堂寺所蔵書画資料目録(中世~近世)」(『和歌山県立博物館研究紀要』23号、2017)103頁および106~107頁表を参照。⒁「月下渡雁図」と「群狗図」は現状屛風装となっており、制作当時の配置が不明だが、注⒀に挙げた明治期の記録から、前者が上間二之間、後者が下間二之間の障子腰貼付だと推測した。なお、前掲注⑼『蘆雪潑剌』に掲載の拙稿資料解説8~11では、安藤精一編『和歌山県の文化財』3巻(清文堂出版、1982)掲載の障壁画配置図を参考に、本稿で述べたのとは逆に「虎渓三笑図」と「群狗図」が上間二之間、「牛図」と「月下渡雁図」が下間二之間を飾ったと考えて解釈を試みた。襖の当初の配置については、引き続き検討していきたい。⒂前掲注⑷、山川武論文25~26頁の吉澤忠補稿、および小田誠太郎執筆「作品解説」18(千葉市美術館・和歌山県立博物館・日本経済新聞社編・発行『没後200年記念 長澤蘆雪』2000、174頁)。⒃前掲注⒂、吉澤忠補稿。⒄前掲注⒂、小田誠太郎作品解説。筆者も前掲注⑼『蘆雪潑剌』資料解説4でこの立場をとったが、検討を要する。⒅山川武「長澤蘆雪筆 汝陽逢麴車圖」(『國華』942号、1972)。⒆岡田秀之『かわいい こわい おもしろい 長沢芦雪』(新潮社、2017)。⒇狩野博幸「長澤蘆雪筆 指墨 牧童吹笛圖」(『國華』1091号、1986)。 前掲注⑷、和高伸二論文。 松幸子「長澤蘆雪『海浜奇勝図屏風』(メトロポリタン美術館)について」(『美術史論叢』17号、2001)。家』読売新聞社、2018、228~229頁)。― 394 ―― 394 ―
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