のモデルがリーチ作であるとすれば、それはリーチが日本を離れる1914年末以前に制作されたものだということになる。鈴木禎宏氏によれば、この時期のリーチの陶芸修行は「日本美術研究の一環」というべきものであり、「リーチが陶芸を一生の仕事と決めたのは、1916年後半、北京でのことであった」(注10)という。《壺》はリーチが陶磁器制作を中断して日本を離れた時期に描かれたという点でも、陶芸を「一生の仕事」と決めた後のリーチによる器物を描いた岸田の静物画とは異なる位置にあるといえる。以上を踏まえ、本報告では改めて「壺」と同時代のリーチによる陶磁器を比較したい。さらに岸田によるリーチ評を読み直し、岸田がリーチの陶磁器以外から受けた刺激が「壺」に生かされている可能性についても検討したい。「壺」とリーチの同時代の陶磁器の比較に入ろう。岸田の「壺」の比較対象となるリーチ作の陶磁器として、《染付紋章付注瓶》(1914年、大原美術館、〔図4、5、6〕と《Three-tiered Jug》(1913年、Crafts Study Centre、〔図7、8〕を取り上げる。リーチが1914年までに制作した現存作例の中で、「壺」に描かれるのと同様に片手付きの壺であること、染付一色でモティーフを描いていることを条件とし、また《壺の上に林檎が載って在る》では果物を乗せた状態で描かれることから、一定以上の大きさのある器物を対象とし、醤油差しなどの小型の器物は除外した。器形及び紋様についての比較内容は〔表1〕を参照頂きたい。〔表1〕の比較内容をまとめるなら、岸田の「壺」では、器物本体と取っ手、また器物の紋様などの各部分が有機的につながり全体をなすような一体感が意図され、リーチの陶磁器では、各部分がそれぞれに独立した内容を示すという違いがあるといえる。取っ手にはその違いが端的に表れる。まず取っ手と器物本体のバランスである。岸田の「壺」では取っ手が器物全体に占める割合は小さく、器物の最上部に位置し、首の真下あたりに接続するが、リーチの作る壺では取っ手はより長く、下方の接続部分は胴部の中心か下半分に及ぶ場合もある。《Three-tiered Jug》では小さな取っ手が二重橋のように連なる。次に、取っ手そのものにも違いがある。「壺」では陰影表現によって、取っ手の断面が蒲鉾状で内側は平面的であることが示唆される。この形状は取っ手自身が描く弧線を自然に見せている(注11)。壺本体に接着する部分では取っ手の形状と紋様とが呼応し、異物が本体にぶつかる違和感が避けられている。一方リーチの陶磁器においては、《紋章付注瓶》《Three-tiered Jug》のどちらの取っ手もホースのような筒型であり、取っ手の付け根には突起がある。《紋章付注瓶》では本体に近い部分に2本の輪が描かれ、《Three-tiered Jug》では取っ手全体が彩色される。― 398 ―― 398 ―
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