鹿島美術研究 年報第35号別冊(2018)
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の壺という前提を離れれば器面全体を一つの画面のように使った作例(注14、図版11)もあることなどを考慮すべきではあるが、「壺」のように器物全体の形と呼応する紋様を、筆のニュアンスを生かした線描によって描いた作品は見当たらないといえる。しかし、現存するリーチの陶磁器にはない「壺」の特徴は、「壺」とリーチの関係を否定するものとも言い切れない。むしろそれは、陶磁器制作よりさかのぼって岸田とリーチの関係を見、彼のリーチ観について検討することを促す要素でもあると筆者は考える。「壺」の紋様を特徴づける表情豊かな線描は、リーチに触発されて岸田が追求するようになったものだと考えられるからである。1920年にリーチのイギリス帰国にあたって岸田が書いた文章「リーチを送るに鑑みて」(注15)は、彼がリーチから受けた影響を考える上で重要である。そこには岸田がリーチを通じて素描の魅力に開眼したこと、彼がリーチの「線に対する美的感覚」に感銘を受けたことが示され、またリーチが陶磁器を始める以前に主たる表現媒体としていたエッチングへの言及がある。以下、該当箇所を抜粋する。「その頃自分は素描で芸術品を作らうともしていなかった。さういふ自分に素描することの芸術的興味を知らせてくれたのはリーチだ。その時分のある日、リーチが来て自分が何気なくスケッチした鉛筆画の妻の肖像を見て「チャーミング」と言った事があった。その時不図、自分の描いたものの中にある事を会得した気がする。その時から素画に興味を持ったといふのではないが、しかしその時分から自分は一方素描家になった。」「リーチは全く内インサイドからの装飾家だ。線に対する美的感覚を異常に持っている。それはリーチの内に生きている本能だ」「リーチの極く古い銅板ものや素画などを見た時から、凡庸のものではないと思った。何か生きていた。「心」があった。「欲しい」という感じがあった。(中略)リーチのかくものの中に大抵、つむじ風に巻いた、太い感じの強さがあるがあれは不思議に、生きた感じを持って居ると思う」リーチの「極く古い銅板ものや素画」は、1911年4月の「美術新報社主催新進作家小品展覧会」や同年11月の「白樺主催洋画展覧会」、1912年2月「白樺主催第4回美術展覧会」などに出品され、1920年の彼の帰国時に柳宗悦の編集によって製作され、彼に送られた『リーチ An English Artist in Japan』(前掲注15)に掲載されたが、渡― 400 ―― 400 ―

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