鹿島美術研究 年報第35号別冊(2018)
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日前の作品も含めたエッチングによる作品は、サイモン・オールディング氏の著作にまとめられている(注16)。一例として挙げた《Storm》〔図9〕に見られる、樹木とそこに吹く風が一体化したような表現には、当時のリーチの陶磁器以上に、「つむじ風に巻いた」「生きた感じ」といった岸田の言葉、また「壺」の線描に通じるものがあるように見える。岸田の素描にはリーチに褒められたという妻をモデルとしたものや娘の麗子、草や土などを描いたものが多く、回想のとおり1914年頃から頻繁に描かれている。1916年の年記を持つ《壺の模様下絵》 と題された素描〔図3〕には、左右の樹木の奥に川が流れ、橋を渡る女性と子供が描かれているが、画面を楕円形に縁どる植物文の形状と、樹木の幹や空などに見られるかすれを生かした線描が、「壺」と共通する。樹木などの自然景と女性、子供といったモティーフは、岸田が先述の文中で言及した「『タイガー、タイガー』の詩句のある古い白樺の表紙画」を含むリーチの素描や版画、中国から帰国後にリーチが手掛けた白樺関連の図書・雑誌の表紙絵にも頻出する。岸田とリーチは、大正初年に盛り上がった創作的な版画制作活動の主要人物に数えられており(注17)、土や草といったモティーフ、「The Earth」といった主題が共有されていることも既に指摘される通りである。その上で、長くうねる線描や、《壺の装飾文様》などに見られるかすれた線描などは岸田の素描に顕著な特徴でもある。これらを総合すると、岸田はまず、リーチのエッチングや素描を通じて彼の「線に対する美的感覚」を認め、他の要素ともあわせて独自に発展させて「壺」を描いたのではないかと考えられる。「壺」の線描に見られる表現力が素描を通じて培われたものだとすれば、そこには陶磁器制作に先立つリーチの制作から受けた刺激が影響しているといえるかもしれない。「リーチを送るに鑑みて」を書いた1920年、岸田はそれまでの自分の芸術観の集大成である『劉生画集及芸術観』(前掲注1)を発行した。その核となる論考「内なる美」の中で、「線」の美とは、純粋に作者の内面から発する「装飾」の美を意味し、実在の事物の形を借りて表現される「写実」の美、「想像」の美と補完しあって「内なる美」を構成する要素とされる。また同文において、岸田は「線」の美である「装飾」の美が最も直接的に表現される分野が「工芸」であるとした。そこにある事物を描く「写実」の図像でありながら「工芸」に属する器物を描き、表現手法においては、滑らかに流れることで部分を全体へと統合し、かすれや筆勢によって自らの存在を質的にも主張する「線」の美が重視されている「壺」は、あたかもその見解を予言するかのように見える(注18)。― 401 ―― 401 ―

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