鹿島美術研究 年報第35号別冊(2018)
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の善神化もこうした動きと連動するものであったと考えられる。浮嶽神社の木彫群と神仏習合これまでの考察より、浮嶽神社の木彫群が、観世音寺講師が推進していた神仏習合造像の一例に位置付けられることが確認できた。ところで、本木彫群をめぐっては、各像の造形に違いがあることがしばしば指摘されている。大きくは、①如来立像、②如来坐像、僧形立像で造形が異なっており、例えば、①が口を薄く結んだ表情であるのに対し②が鼻翼を膨らませ、口を「へ」の字に強く結んだ厳しい表情をみせる〔図8~10〕、あるいは、①が深くえぐるような鋭い彫技をみせるのに対し、②では布の質感の再現を目指すような柔らかな彫りを用いる〔図11~13〕、といった具合である。造形の違いを年代差と捉える見解もあるが、南都の工人の手によると考えられる本造像が複数回の派遣を伴って行われたというのも不自然である。カヤの一材から像の大半を彫出する構造や古様な偏袒右肩の服制など、おおよその作風は一致していることも考え合わせると、多少の時代差はあるにせよ、基本的には一連の造像として制作されたとみるべきではないだろうか。となると、①、②の作風の違いの原因は別に求める必要があろう。衣文表現にみえる、①のえぐるような彫りと②の柔らかな彫りといった違いは造像を手がけた仏師の手の違いに帰することもできようが、表情の違いについてはそれだけでは説明できない。そこで、視点を変えて神仏習合という立場からアプローチを試みたい。浮嶽神社の木彫群を神仏習合像と捉える指摘はしばしばなされているが、その視点は論者によってやや異なる。例えば、井上正氏は、「歪みの造形」という視点から本木彫群を捉えている(注26)。氏によれば、如来立像と如来坐像に歪みの造形が認められ、前者は顔と腰以下の脚部との正中線がずれており、後者は左肩が右に対して落ちている。こうした表現は、神護寺の薬師如来立像にも認められ、霊威の表現であるとしている。なお、如来坐像の造形については、近年、井形進氏によって、重要な指摘がなされた(注27)。すなわち、本像は一見趺坐にみえるが、実は、左脚の行方が不詳で踏み下げていた可能性があり、左肩や左胸が右より下がっているのもそれに伴う動きであるという。とすれば、井上氏の想定する霊威の表現を意図した歪みの造形は如来坐像には当てはまらず、如来立像のみに認めるべきであろう。また、紺野敏文氏は、如来坐像と僧形立像が眦を切り上げた「威相」を示す点に神仏習合像としての性格を見出している(注28)。すなわち、両氏とも通常の仏菩薩にみられない表現を神仏習合像の要素とみなして― 32 ―― 32 ―

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