鹿島美術研究 年報第35号別冊(2018)
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作品は、日本でも盛んに研究されてきたが、劉薩訶そのものは、日本では、中国仏教美術史を専門とする特定の研究者の間で注目されてきたに過ぎない。しかし、2016年に中国で開催された国際シンポジウム「聖容寺・番禾瑞像・劉薩訶研究及永昌与絲綢之路 仏教文化国際学術研討会論文集」において、張氏が日本の兵庫・極楽寺に所蔵される「六道絵」の地獄の場面で、罪人として劉薩訶が登場することを指摘したことによって、日本でも劉薩訶が造形化されていたことが認識されるようになった。そもそも極楽寺本六道絵に劉薩訶なる人物が描かれていることは日本中世仏画史の研究者によって既に指摘されていた。しかし、それが中国で著名な僧であることは当研究者間では知られておらず、薩訶に関しては日中仏教美術史間の連絡に成功していなかった。そのような中で、張氏は両分野の懸け橋のような役割を果たしたのである。また、この氏の指摘によって、薩訶が、地域と時代によって、その担わされる役割が非常に多岐に及ぶことが具体化された。そして、もう一点、日本の美術館に所蔵される『画図讃文』にも劉薩訶の説話が書かれていることが近年発表された。当作品は、中国唐時代・7世紀後半に制作され、当初は画巻と一具を成していた。現在、その中の巻第26が東京・大東急記念文庫に、巻第27が神戸・白鶴美術館にそれぞれ所蔵される。このうち劉薩訶説話が記されるのは、巻第27である。これにより劉薩訶説話が唐時代に画巻として描かれており、それがいつの頃かに日本に伝来したことが分かる。こうした日本所在で、これまで中国美術史側から注目されてこなかった作品を実見することにより、張氏の研究が更に進み、仏教美術史界に広く資する成果が生み出されることが期待される。また、氏の極楽寺本に関する指摘や劉薩訶に関する最新の成果を日本で発表することは日本の仏教美術史界に新たな息吹を齎すに違いない。そのため、今回、氏を日本へ招聘する運びとなった。まず、①の奈良国立博物館での見学であるが、当日、博物館では、「源信­地獄・極楽への扉」展が開催されており、六道絵や阿弥陀来迎図及びこれらに関係する作品が展示されていた。極楽寺本六道絵もその一つであり、この絵は、画面上部の十王と、画面中下部の六道から成る三幅対の鎌倉時代作品である。実作品の全体像を初めて目にした張氏は、画面の中で、薩訶が一罪人として、他の登場人物と変わらない大きさで、非常に小さく描かれること、しかしそれが閻羅王の前で他の説話の人物と集中して描かれること、各画面において画風が異なること、この絵画と内容を一致させるテキストの確たるものが現在のところ見当たらないことなどを指摘し、日本人研究者と意見を交わした。この議論の中で、十王の中でも、閻羅王がやはり判官の中心となり、― 412 ―

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