描かれた極楽寺本には十王と共に劉薩訶が登場する。寧波は、劉薩訶がかつて聖跡巡礼したとされる各地の近くに位置している。上述の涼州瑞像研究と同様に当画の研究についても、画題の選択基準を劉薩訶が持つ複数の性質の中から見定めることを試みるべきである。張氏の以上の発表は、フィールドワークによって現地の地形を分析することで裏付けられたものであり、先行研究を更に肉付けする意義を持つ。西北地域での劉薩訶の性質の二重性を極めて明確に説得力をもたせて示した。劉薩訶が日本の仏画に描かれるに至った数奇な運命について、研究会に集った日本の仏教関連の研究者は驚くと共に、その背景について思いを巡らした。そのため、質疑も多くあり、中でも文学史の研究者から寄せられた劉薩訶伝説の伝承方法やその説話中に記される盂蘭盆会の時期の意味合いについての質問を基にした議論によって一定の成果があげられた。即ち、前者の伝承方法について、張氏は、劉薩訶説話の一つに登場する「李師仁」という名前は、薩訶の出自を示す「離石人」という類似した発音の言葉から派生したものであるという自論を提示し、この種の劉薩訶説話は民間伝承された可能性が高いということを会場も認識した。一方、後者の質問については、張氏を含めた本研究会発表者のいずれの念頭にもなかったもので、かつ、美術作品中の薩訶の存在意義を考察する際にも相当に重要な点であるため、今後の研究課題の大きな核となるものとして、発表者全員の記憶に留まった。最後に③の白鶴美術館における『画図讃文』の調査についてである。現在、白鶴美術館では、『画図讃文』の内容と、成立背景、機能などの基礎研究を進めており、近年、数本の論考を提出してきた。日本の学界ではこれまでほとんどその内容は知られてこず、まして中国ではその存在すら知られていない。張氏は、巻第27を通観し、劉薩訶説話も含むその内容の重要性を認識すると同時に、字姿から写経生の書した唐・8世紀の作品である可能性や、唐・道世の『法苑珠林』との性質の近似性等を述べた。これらは、近年公表された成果とは異なる見解或いは、重視してこなかった見解であり、今後の当作品の研究をしていく上で念頭に置くべきことである。また、張氏にとっても、中国中央地域で成立し、かつて画巻を伴っていたであろう当作品を実見し、その内容を把握できたことにより、具体的に奇瑞説話図の機能を考察する上での糧を得たと言える。またこの他にも余った時間で張氏は、劉薩訶説話を大いに取り入れた道宣によって開かれた南山律宗を日本に伝えた鑑真が創立した唐招提寺を訪問するなどした。以上、僅か4日間であるが、期間中には日本の研究者との間で情報交換、議論が行― 414 ―
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