劉氏は、中間領域における「他者の目」の存在を指摘し、同一のものに対して多種多様な「異なる」見方、価値体系が並立していることを指摘し、それもまた中間領域における多層性や多様性を担っていることを強調した。続いてフロアとの質疑応答が行われ、最後に、董炳月氏による総括があった。今回の二つの講演をうけて、近年の一連のチャイナ・フォーラムの理念の根幹である「東アジアからの視点」は中国美術史学にとってどのような意義を持つのか、改めて問い直すものであった。他方、国や地域で線引きをして「境界」をつくるならば、それに依拠する観察眼もまた異なってくるのか、今後の新たな試みの可能性を提示し、フォーラムを締めくくった。このフォーラムでは、従来提唱された近代中国学や近代美術史学の学問体系から取りこぼされてしまった、絵画観や美術史家に焦点をあてて再評価することの意義が改めて認識された。今回取り上げられた主な題材は、前近代と近代における日本における中国美術と中国美術史学の言説だが、翻ってそれは、「他者」を受け入れた日本の歴史叙述の姿勢を合わせ鏡のように省察することに他ならない。その意味において、このような日本と中国の異なる背景を持った研究者が意見を交わすことのできる機会は、非常に重要なものとなったと言えよう。また研究者の文化的背景という点に触れておくと、今回のフォーラムの日本側からの発表者は主に日本に拠点を置く中国研究者であり、コメンテーターは主に中国に拠点を置く日本研究者であった。この国籍と研究対象のクロッシングこそは、非常に豊饒な討論の成果をもたらした原因となったと言えるだろう。人文学研究においては、客観的な研究成果ということはありえず、常に自らの生活や文化環境、社会的な制度のなかでなにかしらの制約を受けている。このことに自覚的にならないと、人文学研究はややもすれば独りよがりなモノローグになってしまいがちだからである。近代的な国別のディスコースが強く制度として存在している東アジアの地域研究は、例えば、日本の中国学者は圧倒的に多数を占める日本人の他分野の研究者、もしくはこれもまた多数を占める中国人の中国研究者に対してアピールする研究に傾注しがちで、逆もまたしかりである。その意味において両者は、実はそれぞれの研究対象国、そして自らの生活基盤を置いている国、どちらにおいても数的なマイノリティという二重の周縁に置かれる存在である。それゆえに、この両者が対話する場所は従来までは非常に希少で、それぞれが抱える学的、制度的な苦悩について討議する場や機会はほとんどなかったと言ってよい。さらに言えば、自らの国籍と研究対象が違う場所にあるという事実は、東アジア地― 420 ―
元のページ ../index.html#431