すぐに彼女と分かりますし、雑誌用のイラストでは本質のぎりぎりまでそぎ落とし、黒と少しの色でいわばロゴのように彼女を描写しています。何が面白いかと言いますと、美術館に収蔵されるような絵画や版画、あるいは街角のポスターや雑誌など、それぞれの具体的な目的に沿って彼が芸術家として使う手法、言語そのものをはっきりと変えていることです。私が非常に重視しているのはこの点です。前衛世代の人々が行った一番大きな変革は何だったのか。それは従来の「絵画は偉く、版画は見劣りするマイナーな表現手段」といったヒエラルキーを転覆させた点です。そればかりか、彼らは2つの対照的な世界であるエリート世界と庶民のストリートの間をやすやすと行き来する存在たりえたのです。このことを具体的にするために、彼の2作品をじっくり分析したいと思います。まず確認したいのは大きさです。一方は大判のポスター、一方はとても小さな版画です。作品のパワーやサイズ感は作品の実物を目の当たりにしなければ実感できません。紙の種類にも大きな違いがあります。左側の版画は分厚いクリーム色、質感のいい美しい高級紙で布の繊維を素材としているようです。一方、右側のポスターは明らかに安い材料で作られた紙。変色がすさまじいのは木材パルプを素材としているからでしょう。2作品とも多色リトグラフの優れた例ですが、具体的な技法、色合いには大きな違いがあります。左側の希少版画は落ち着いた色合いで透明がかった茶と黄色で構成され、銀粉も使用されています。一方、右側は力に満ちあふれた原色で「ここにいるんだ!」とこちらに叫ぶようなポスターです。極めて対照的な色調です。解読性の差にも注目しましょう。右側のポスターは見た瞬間に堂々とした大柄な男性の姿と分かります。当時非常に有名だったカフェ・コンセールの歌手、アリスティド・ブリュアンです。それに対して左側の版画は花か蝶か、あるいは鳥かという雰囲気ですが、ダンサーのロイ・フラーを描いたものです。よく見ると署名やNo. 72といった版画番号、La Loie Fuller(ロイ・フラー)といった題名も見つけられます。スタンプからは版画の来歴が判明します。左側の版画の上にある判はEdmond Sagot(エドモン・サゴ)という19世紀末の出版業者の名前を示しており、おそらく彼がこの版画を販売し、価値を高めるために自分自身の判も加えたのでしょう。下はドイツの詩人、アルフレート・ヴァルター・フォン・ヘイメルの判です。彼はフランスの前衛的な版画のコレクターとして非常に著名でした。売り手とコレクター、2つの判からエリートのための高級版画ということが伝わります。一方、― 437 ―
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