鹿島美術研究 年報第35号別冊(2018)
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右側のポスターの判は丹念に押したわけではないことがすぐ分かります。これはフランス政府の検閲済み判でこれが公共の場にあったポスターの本物であることを示しています。さて、左側の版画は全体で75部刷られており、お値段は当時の50フラン、かなり強気の値段でした。こういった高級版画はどのように鑑賞されたのでしょうか。当時の評論家、ロジェ・マルクスの書斎の様子の写真をご覧ください。部屋には彼の集めた絵画や焼き物が飾られていますが、愛蔵の版画はどこにも飾られず戸棚の中に隠されていました。彼は夕方それらを取り出し、一人で向き合っていたのです。マルクス自身の素晴らしい言葉が残されています。「─例えば、パリに暮す人々がいくたびも遭遇する本当に気落ちするような長い日だ。頭は痛く、心はくたびれ果てている。家に帰り、ひじ掛け椅子に自分の体を投げ出すと、戸棚からお気に入りの版画を束ねた大きな紙挟みを取り出す。1枚ずつゆっくりと版画をめくることで悩みや苦しみは霧散し、そして私はさまざまなつらさを忘れることができる」と。このような愛好家たちは珍しい版画に執着し、探し求めており、それに応えたのがロートレックの工夫でした。ロイ・フラーの版画は色合いを少しずつ変えてあり、1枚1枚に金粉や銀粉を散らすことで微妙な差異を実現しています。これはロイ・フラーにふさわしいものとなりました。この踊り子は両腕に大きなシーツを巻き付け、さまざまな色合いの照明で効果を高め、一瞬一瞬、毎回自身でも再現できない変化を実現させ、現実離れしたステージを作ろうとしていたからです。一方、右側のポスターは街で多くの人々の目にさらされました。1900年ごろのパリの街角はあちこちに張られた広告宣伝用のポスターで屋外美術館のようでした。私どものコレクションにありますスタンランの巨大ポスターは壁画を思わせる存在感をもって「街角はいろいろな人々が出会う場である」と伝えています。おしゃれなパリジェンヌ、大富豪の銀行家、素朴にひっそりと暮らす洗濯をなりわいとした女性、普通の労働者。なお、ポスターは壁にとどまらず、日本でもおなじみのサンドイッチマンとして人間が運んだり、馬車の横にぺたぺた張り付けられ街中を疾走することもありました。三菱一号館美術館のロートレックコレクションの父、モーリス・ジョワイヤンは初めてムーラン・ルージュのポスターを見たとき「素晴らしい、なんて洗練された構図であることか!」と必死に馬車のあとを追いかけたということです。ちなみにブリュアンも非常に人気のある歌手でした。先ほどのフラーの繊細さと見事に対照をなし、大柄で威圧感があり、労働者の暮らしや苦労を極めて粗野で皮肉に歌った歌手でした。― 438 ―

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