鹿島美術研究 年報第35号別冊(2018)
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(2)屛風絵の筆者も、モチーフの種類は比較的豊富である。書は『源氏物語』から撰歌された和歌が行書き四行で揮毫されている。信尹の晩年のものと思しき筆致ではあるものの、他の書作に比べやや運筆規模が小さく、所々鋭利な用筆も見受けられる。一方、色紙形に揮毫された和歌の典拠に着目すれば、右隻は『源氏物語』第1帖「桐壺」~第9帖「葵」から、また左隻は3首を除き第10帖「賢木」~第19帖「薄雲」から撰歌された和歌と判明する〔表1〕。これを踏まえ、あらためて屛風絵を見てみると、菊花咲き乱れる華やかな秋の野辺を表した右隻は、光源氏と頭中将が青海波を舞う「紅葉賀」の一場面を連想させ、一方、群雲が忍び寄る夜の波濤を表した左隻は、須磨へ隠退した光源氏が都の生活を懐かしむ「須磨」の一場面を連想させる。つまり、右隻は光源氏の輝かしい青少年期を、左隻は光源氏の苦悩に満ちた壮年期を表象すると考えられはしないだろうか。したがって、屛風絵については、人物を一切登場させず描かれた情景から物語の特定の場面をイメージさせる「留守模様」の一種と見做せよう。現在のところ屛風絵の筆者は不明である。だが、一見すると、その構図やモチーフは琳派の作品を彷彿とさせる。例えば、右隻の図様は、俵屋宗雪(生没年不詳)筆「秋草図屛風」(東京国立博物館蔵)の菊が群れ咲く様に似通っており、また左隻の波濤の上にリズミカルに配された色紙形は、光悦書・宗達画「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」(京都国立博物館蔵)の飛翔する群鶴を連想させる。したがって、琳派からの影響は十分考えられるだろう。しかし、その描法は、琳派ではなく長谷川派に強い類縁性を示しているようである。例えば、鮮やかな賦彩が施された右隻の菊は、装飾性が強調されているようでありながらも、よく見ると、自然の植生に近い姿で描かれていることがわかる。陽光に向かって伸び上がり、花冠の重みで撓る菊の姿は、むしろ「松に秋草図」(京都・智積院蔵)の草叢に見え隠れする菊に近いのではないか。また、左隻の白い飛沫をあげて波打つ波濤も、長谷川等伯(1539~1610)の筆とはいえないまでも、「波濤図」(京都・禅林寺蔵)に拠る可能性があろう。こうした図様の特徴に加え、ことに興味深いのは、左右の隻で色紙形の和歌の配列が全く異なっていることである。すなわち、左隻では『源氏物語』の展開に関係なく無作為に配されているのに対し、右隻では『源氏物語』の展開を踏まえ各帖における和歌の登場順に従って配されている〔図2〕。和歌に対するスタンスの相違は明らか― 41 ―― 41 ―

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