注⑴東京国立博物館特別展図録『和様の書』、2013年参照。⑵「色紙貼交桜山吹図屛風」は、色紙形の雲母刷の雷文蔓牡丹文が慶長10年頃の謡本表紙と同版であることが指摘されている。一方、屛風絵については寛永期とする見解がある(京都国立博物館特別展図録『琳派 京を彩る』、2015年参照)。る。その関係者の一端に友松が存在したことは、信尹の料紙装飾の筆者を考察する上で看過できない事象であると思われる。むすびにかえて本報告では、京都・陽明文庫に所蔵される「源氏物語和歌色紙貼交屛風」を中心に、近衛信尹の書とその料紙装飾を検討した。結果、本作の屛風絵には長谷川派の関与を想定し、さらに、色紙形に揮毫された和歌の配列の相違から、右左の隻で屛風絵の筆者が異なる可能性を提示した。一方、色紙形の料紙装飾には海北友松に類似する描法が看取されるとともに、これに近しい描法が京都・醍醐寺三宝院の障壁画に見出されることを指摘した。もっとも、友松の画業には未解明な部分が多く、信尹の料紙装飾に果たして本当に友松が関わっていたかどうか、現段階で断定するには至っていない。そのため、本報告ではその可能性を提起した次第である。信尹の料紙装飾に関わった絵師を解明することは、文禄・慶長期における宮廷絵師の動向を明らかにすることにもなるだろう。したがって、この問題については今後も多方面から考察してゆきたいと思う。⑶伊藤敏子著『光悦色紙貼交屛風』別冊、平凡社、1974年参照。⑷前掲注⑶伊藤氏著書参照。伊藤氏の紹介する「染筆相伝之事」は、愛知・西尾市岩瀬文庫所蔵の『和歌伊勢海』(1720年成立)所収史料に同じである。本書は和歌関係の雑纂書で、上中巻は音羽川・玉嶋川以下の名所画図と順徳院百首、下巻に「染筆相伝之事」として色紙短冊等の書様、屛風押方の伝書が記されている。その奥書には「天文十年八月廿日 権少僧都兼俊在判」とある(愛知・西尾市岩瀬文庫、古典籍書誌データベース参照)。⑸山根有三「絵屋について」『美術史』48、美術史学会、1963年参照。⑹山根有三「伝宗達筆の草花図扇面貼交屛風について」『大和文華』39、大和文華館、1963年参照。⑺三宝院障壁画と信尹周辺の料紙装飾の共通点はこれのみでない。例えば、「調度手本」のうち「今川了俊教訓」の箔装飾は、三宝院「秋草の間」の箔装飾に近しい手法が採られている。⑻山根有三「長谷川派金碧障壁画の研究─智積院・三宝院・禅林寺・妙蓮寺─」『桃山絵画研究』中央公論美術出版、1998年参照。⑼前掲注⑹山根氏論考参照。⑽玉蟲敏子氏はこの土佐派の領域に進出した絵師として、土佐派と姻戚関係を結んでいた狩野派、― 47 ―― 47 ―
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