鹿島美術研究 年報第35号別冊(2018)
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1934年以降、李仲生は、4年連続で二科展に入選を果たした。その際の作品は、前衛的な絵画が集められた第九室で展示された。1934年には《コンポジション》、35年に《静物》、36年に《逃げる鳥》、37年に《子供の肖像》が入選し、その絵画表現はどれもシュルレアリスムを追求したものであった。李仲生とシュルレアリスムの出会いは、1932年に参観した「巴里東京新興美術同盟展」であり、マックス・エルンスト(Max Ernst:1891-1976)やジョルジョ・デ・キリコ(Giorgio de Chirico:1888-1978)、ジョミアン・ミロ(Joan Miró:1893-1983)などの新進画家の実作品にふれた(注7)。《コンポジション》〔図11〕では、奥行きを深く、ロープやビンなどのモティーフが生々しい存在感を放っている。《コンポジション》をめぐっては、外山卯三郎(1903-80)と中村研一が次のように評価した。吉原治良氏はキリコにピエール・ロワを加味したような作風で、「帆柱」とか「風景」など興味深い作である。ピエール・ロワ風の作は他に李仲生のコンポジションがあるが、吉原君のは素質的な良さがある(注8)。(外山)青と黄とハンマーやその陰の取合せなど、かう云う風の絵にあるつめたさがなくてしたしめる(注9)。(中村)外山は吉原と李仲生の作品に、「ロワ風」という共通性を見出している。確かに吉原もこの頃、《帆柱》や《縄をまとう男》〔図12〕において、シュルレアリスム絵画を色濃く表現した作品を手掛けている。吉原のシュルレアリスム絵画については、描かれたモティーフは実在する事物であることが多く、自身の感性と詩情性を加味しながら独自的なシュルレアリスムを追及していると平井章一氏は指摘している(注10)。李仲生においても、中村から「つめたさがなくて…」と指摘されているように、シュルレアリスムの不安な内面の投影というよりも、色彩の鮮やかさから、晴々しい情感と親しみを感じる。翌年に出品した《静物》〔図13〕は、《コンポジション》のような遠近感はない。しかし《コンポジション》同様に、縄跳びのロープ部分を堅持させながら、石膏像やグローブ、錨といった雑多なモティーフが並べ非合理的な空間が広がっている。またタイトルが示すように、まとまりのあるモティーフの配置がなされ、静物画にも見えてくる。1936年に描かれた《逃げる鳥》〔図14〕では、奥行きのある部屋が描かれる一方で、前面に平面的なモティーフが集合した構図がとられている。背景にはデザイン的に色の対比が際立つ構成を示し、意識的な構図の実践が行われて― 56 ―― 56 ―

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