(2)無形象(アンフォルメル)絵画期いることがわかる。つまり、呉孟晋氏も指摘するように、李仲生のシュルレアリスム絵画は、フロイト的な無意識から出発しているのではなく、叙情性や構成(構図)の重要視といった独自の感性を加味することで、シュルレアリスムを昇華している(注11)。まず、日本におけるアンフォルメルの芸術論は、当時パリに在住していた日本人芸術家や美術評論家を通じて、間接的に日本に伝わった。加藤瑞穂氏が明らかにするように日本のアンフォルメルは、概念を指す言葉であったにもかかわらず、行為や物質感など表現様式を追求した、多様な解釈によって理解されている(注12)。それは、多くが日本の美術雑誌を介してアンフォルメル絵画を学んだ、中国や韓国などの東アジア諸国の芸術家も同様である。従って、本稿でとり上げたアンフォルメル絵画が、タピエの指すアンフォルメルとは一様ではない。李仲生の場合、戦後の抽象作品に対して、自身で「無形象」絵画と呼称している。ここでは、タピエ「非公認」の芸術家たちによるアンフォルメル絵画が、世界各国で共時的に群発した背景や各々の独自性を探究したいと考えている。1949年、李仲生は広州市立芸術専科学高専任教授を経て、渡台し省立台北第二女子中学校美術・図画科教諭になる。その後も1979年の退職まで、職業学校や女子中学校などで教鞭をとった。その他にも、美術展の審査員や研究会、画会を結成など、後進の美術教育に尽力した。渡台後の李仲生は、抽象絵画の制作に努めた。 私の抽象画は早くも戦前の古い観念を棄てて、戦後派の抽象芸術になってしまった(注13)。「斎藤義重宛書簡」1950年代後半から1960年代にかけて李仲生の作品は、その時代に呼応したかのようにアンフォルメル風の絵画を描いている。《作品533》(1958年制作)や《作品528》(1959年制作)〔図15〕は、《逃げる鳥》で見せたように、明暗のはっきりとした背景に形態のない色の重なりが目につく。一部分を除き、それらの色は混ざることなく、絵具が渇いてから何層にも塗り重ねられていることがわかる。また《作品528》では吉原治良同様に、地(=背景)塗り進めるなかで、上部の形象のないモティーフを表出させている。同時期のフランスのジョルジュ・マチュー(Georges Mathieu:1921-2012)や日本の白髪一雄(1924-2008)に比べて、絵具のマティエールが控え目で激しい運― 57 ―― 57 ―
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