鹿島美術研究 年報第35号別冊(2018)
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筆の跡はなく、行為による表現方法もない。つまり、戦後の抽象表現主義に見られたようなオートマティスム的な創作理念で描かれたものではない。 無形象のなかでは、ときにはある種の神秘的で不可思議な超現実に基づく幻想、想像が立ち現れる。これはもともと私に想像の力を借りた夢想癖があることによるのかもしれない。ともあれ私はまさに最前衛に向かって歩いているのである(注14)。「1961年頃:蕭勤への書信の下書き」李仲生の無形象(アンフォルメル)絵画は、「超現実に基づく幻想」「夢想癖」とあるように、シュルレアリスム期から引き継いだ表現方法を1950年代後半以降も採用していることがわかる。加えて李仲生は、「描画のメモ」とも呼ぶべき無形象(アンフォルメル)絵画の構図を描き残している。ボールペンによって描かれたこれらの構図には、○や□などの記号的なモティーフも見てとれ、入念に構想を練っていることがわかる〔図16〕。70年代になると、絵具のストロークは激しくなり、色の混ざり合いも初期の頃に比べて表出している。しかし、色の対比による地(=背景)の研究は、晩年まで続いた〔図17〕。李仲生においても、戦前から続く表現方法を実践していることがわかる。3.東アジアのアンフォルメル東アジアにおけるアンフォルメル絵画に、韓国の例を挙げることができる。「具体美術協会」が結成された3年後の1957年、韓国で12名の若者が中心となり「現代美術家協会」(1957-60)が結成され、アンフォルメル絵画の制作に尽力した。「具体」と「現代」を比較すると、グループの体制や創作理念の面で、両グループの革新性が示す、「新しさ」の意味合いが異なることがわかる。また「現代」の後進である「60年美術家協会」メンバーの尹明老(1936-)は、《絵画M10》(1963年制作)〔図18〕を発表した。ジャン・デュビュッフェ(Jean Dubuffet:1901-85)の女性シリーズを想起させるが、尹明老は否定し、実際には古代中国の青銅器の表面文様からインスピレーションを得たという(注15)。この見解は、中国の趙無極(1921-2013)もアンフォルメル絵画を描く際の起点としており、東アジアの文化的アイデンティティを見出すことができる。アンフォルメル様式の世界各国における萌芽については、「戦後」という共通する時代背景に要因がある。東アジアのアンフォルメル様式は、強く認識された東洋(自― 58 ―― 58 ―

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