鹿島美術研究 年報第35号別冊(2018)
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注⑴「同時発生」という現象のみを捉えることに留まっていた従来の「共時性」の概念を応用する。美術史の「共時性」においては、あえて同様の美術様式が生成された背景を探求することで、共時に至る時代背景や作家の理念、地域性に着目することを目的としている。詳細は、拙著『20世紀東アジア美術の交渉と共時性─近代洋画とアンフォルメル絵画を中心に─』(関西大学東アジア文化研究科学位(博士)論文、2016年)において言及している。国の文化)の素養が表出した結果、欧米の追随ではない独自のアンフォルメル様式の確立があった。おわりに吉原治良と李仲生が示すように、アンフォルメル様式に至るまでには、戦前から続く描画の問題意識や表現方法を延長して取り組んでいることがわかる。また、アンフォルメル期において、地(=背景)に丹念に絵具を塗り込むという意図的な構成が、両者に見受けられたのは興味深い。アンフォルメル様式の先進性に特化した言及は、戦後美術の「新しさ=前衛的活動」という単純な見方によって、画家に備わっていた創作理念を見落とす恐れがあり、注意する必要がある。また吉原と李仲生には、二科展の出品画家をはじめ、藤田嗣治や松原寛など、共通する恩師がいる。言うまでもなく、李仲生が日本に留学したことが大きい。インフラの発展が可能にした画家の移動によって、戦後芸術のグローバリズムは進んでいる。これもアンフォルメル様式の共時性を可能にした背景である。東アジアの近現代美術は、共通する文化の基盤と芸術家の移動による密接な関係性があるため、総体的な東アジア近現代美術研究が必要である。⑵藤田嗣治は自身のサインを「嗣治Foujita」と記していた。吉原治良はそれになぞって、1928年から1930年代頃まで「治良Yoshihara」とサインしている。⑶本指摘は、『未知の表現を求めて 吉原治良の挑戦展』(芦屋市立美術博物館&大阪新美術館建設準備室、2016年)において、吉原の蔵書を展示し言及した。また平井章一氏は、『没後20年吉原治良展』(芦屋市立美術博物館、1992年、51頁)で、ハーバラ・ヘップワーズやベン・ニコルソンらイギリス系抽象画家との類似を指摘している。⑷特筆すべき活動に、「心美集会」(1950年)や「現代美術家協会」(1952年)等があげられる。⑸筆者は、2016年に大阪新美術館建設準備室の主宰する「吉原治良修復前作品調査」の外部研修生として参加し、1950年代の吉原作品を中心に調査を行った。⑹吉原の《作品A》(1936年制作)は、タピエに「世界的にみてアンフォルメル絵画の先駆的作品」と評価されている。愛知県美術館他『生誕100年記念 吉原治良展』朝日新聞社、2005年、165頁⑺呉孟晋「李仲生と戦前日本の前衛絵画」東京大学大学院総合文化研究科学位(修士)論文、2001年、37頁― 59 ―― 59 ―

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