⑦ 刀装具における片切彫の研究研 究 者:大阪歴史博物館 学芸員 内 藤 直 子はじめに刀剣の外装に附属する鐔や小柄・笄等の部品類を現在一般に刀装具と呼ぶ。その始まりは金属や角といった堅牢な素材で要所を護ることを目的とし、時に神仏への奉納のため、時に権力者の佩用のため、彫刻で彩られることがあった。金属製刀装具の歴史にとって大きな画期となったのが室町時代の彫金師・後藤祐乗の登場である。祐乗は刀装具に龍や馬といった具象的なモチーフを選びこれを活写し、時の権力者に認められるところとなった。以後、桃山時代へと続く時代の流れに即し、刀装具のモチーフは多様化し、作者銘を刻むことも一般化した。それは、造形作品としての刀装具の自立を意味するものであり、また、製作者に刀装具の作者としての自覚を芽生えさせるものであった。江戸時代初期の刀装具意匠は桃山時代の延長線上にあり、需要も大名家など限定的だったとみられるが、江戸時代中期に至り、町人の台頭に端を発した学問や芸術の発展により、刀装具の世界にも多様さがもたらされることとなった。刀装具意匠の彫刻線に新たな表現を可能とする彫技・片切彫技法が生まれたのもこの頃である。片切彫とは、彫刻線の一方を浅く、一方を深く彫ることで断面が「レ」の字状になる彫り方のことで、この彫技のアシンメトリーさは線描に陰影やニュアンスを与えるものであった。以来、近現代に至るまでさまざまな彫金工がこの彫技を用いてきた。本研究は、片切彫技法が刀装具において絵画的表現の希求と不可分の関係で発生したとの予見にもとづき、筆の線描に似た表現を可能にするために当時の装剣金工らがどのように絵画を受容し、これを彫金に置き換えていたか、またその結果刀装具に片切彫技法がもたらした絵画的表現がいかなるものだったのかを考察し、片切彫技法の美術史的意義を発展段階別に論じるものである。1.発現期の片切彫横谷宗珉(1670-1733)は片切彫の祖と呼ばれて久しいが、宗珉に関する主な文献のうち、『本朝世事談綺』(1734)、『装剣奇賞』(1781)、『近世奇跡考』(1804)、『筠庭雑録』(19世紀)には「片切彫」の語と結びつける言説は認められず、その名が片切彫と結びつけられるのは宗珉没後100年を経た、田中一賀の『金工鐔寄』(1839)まで下る(注1)。そこには、宗珉が当時流行の英一蝶の絵を下絵として片切彫にし、筆― 64 ―― 64 ―
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