鹿島美術研究 年報第35号別冊(2018)
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意を良く表現した「片切彫の祖」だと書かれ、その後現在に至るまで、宗珉と片切彫は密接に結びつけて語られてきた。実際、宗珉その人が創始したかどうかは断じることができないものの、宗珉が刀装具界を席巻していた18世紀初めに片切彫技法が出現したことは事実とみてよい。この時期に片切彫が発生した背景、そして宗珉が果たした美術史的意義については後段で述べるとし、まずは片切彫の祖と称されてきた宗珉の片切彫についておさえておきたいところだが、宗珉の片切彫を語る上で1点の問題がある。宗珉の国指定品がすべて高彫色絵作品であることが物語るように、その片切彫作品の基準作は定まっていない。その前提の上でここでは「宗珉の片切彫技法を伝えるものとして蓋然性の高い」作品として下記2点により発現期の片切彫を検討する。1点目、宗珉の弟子である大森英てるまさ昌(1705-72)作「六歌仙図小柄」〔図1〕は、井伊家十代目井伊直なおひで幸(1731-89)の差料に備わっている(注2)。伝来過程で金具の入れ替えがあった可能性は否定できないものの、大森一門の作が井伊家に数多く伝来していることや、その中には注文作と思われるものも含まれることから、本作品も当初より直幸の指料に備わった可能性が高いとみる。横構図の銀の地板に表は毛彫と片切彫で人物を表し、裏は御簾に銘を配す。細く細やかな線と強弱のある線とを組み合わせた線描だが、特に両端の人物の狩衣の肩周りの線に特徴が現れている。〔図1(部分)〕の肩の線はまるで「一」の字を書写した書道手本のように彫られ、「へ」の字状に彫られる袖の付け根の線は雄勁に起筆し、途中角で力強く溜めてから曲がる。単なる輪郭線としてこれらの衣文線を彫るのであれば、これほどに起筆や終筆の溜めや折れ角の止めを協調する必要は無く、意図的に毛筆感の演出を念頭にして彫り描かれたことを物語っている。次いで2点目には宗珉銘の作品として、宗珉の彫技を高く評価していた加納夏雄と海野勝珉の両名が奉職した東京美術学校伝来の3本の宗珉銘作品を調査した。このうち「福禄寿鹿図小柄」は、宗珉が得意とした正面向きの四足動物の構図表現が破綻している上線描にも抑揚が無いこと、「獅子牡丹図小柄」は彫口が鈍く何度か彫り重ねて描線を修正した様子がうかがえることから、いずれも宗珉の高彫色絵の作品レベルとは見合わず、唯一、「布袋舟乗笛吹図小柄」〔図2〕だけが宗珉作として違和感のない作品と認めうるものであった。この作品は夏雄の講義録に記録される「宗珉四分一毛彫小柄」「布袋舟に乗」に相当し(注3)、舟に寝そべり笛を吹く布袋を片切彫と毛彫で表した軽妙な作である。宗珉の作品の造り込みについて、かつて大阪の金工・阪井俊政(1923-2014)は、― 65 ―― 65 ―

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