立体感を増すために他工にない工夫が施されていることを指摘した(注4)。確かにこの小柄の地板も中央がゆるやかに膨らんでおり〔図2(部分)〕、わずかな膨らみを宗珉と他工の違いと断じた、阪井の指摘と合致する特徴を備える。また彫技においては、目指す表現別に多様な線を彫り分ける非凡さが見られる。着衣や袋は幅広の片切彫で強調し、頭や腹の丸みある線は中細の片切彫で説明的に表し、ひげや額のむだ毛は、毛彫と片切彫が混然一体となりながら少ない鏨数で軽妙さを演出する。中でも、2本の短線だけで表された左の掌〔図2(部分)〕のように、さらりとした彫りで要所のもつニュアンスを表す表現性は宗珉以前の刀装具には見られないものだ。このように線描の強弱を使い分け、少ない鏨数でモチーフの風合いを表した鏨使いは筆使いを再現するかのような表現であり、後述するように狩野派からの影響も考えるべきものである。このように、〔図1、2〕を見る限り、18世紀前半に出現した当初の片切彫はどちらも筆の毛筆表現を意識した作品だった。つまり片切彫は出現期においてすでに、紙と筆の表現を金属板と鏨の表現に置き換えることを自覚していたといえる。2.一宮長常の片切彫横谷宗珉より約半世紀後に登場し、東西を代表する片切彫の名手とされたのが京金工の一宮長常(1722-86)である。宗珉が線だけで世界を表現しようとしたのに対し、長常の片切彫は輪郭線としての存在感が大きい。かねて指摘してきたように(注5)、長常は平象嵌を着彩に、片切彫を輪郭線に見立てることで絵画を彫金で再現することを目指していた。実際「関羽図小柄」〔図3〕では雄々しい関羽の顔貌や体を素銅で平象嵌し、顔や手の輪郭線や着衣の皺等は片切彫で表している。なお青竜刀の刃部および「芦刈図小柄」〔図4〕の鎌の刃部は象嵌ではなく鍍銀のような技法と思われる。詳細は不詳だが、着彩に近い感覚として採用されたのだろう。長常は筆致の疑似表現として発生した片切彫に、金属による色の表現という新しい要素を付加することで、刀装具の絵画的表現を確実に一歩進めた。この表現法は長常以後の一宮派に継承されるとともに、流派を越えて広く普及した。3.大月光興の片切彫ここまで確認したように片切彫の彫刻線は毛筆の疑似表現に端を発し、のちに平象嵌や鍍金による着彩見立てを併用して輪郭線に見立てられることもあったが、いずれも、モチーフの「かたち」の叙述を目的とすることでは一致していた。― 66 ―― 66 ―
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