鹿島美術研究 年報第35号別冊(2018)
77/455

これに対し、片切彫の「線」を「面」のように用いる表現で新たな可能性をもたらしたのが京金工の大月光興(1766-1834)である。「風炉釜図小柄」〔図5〕の風炉は、片切彫の彫り幅を極端に広く取るが、この彫りは線であるとともに、面でもある〔図5(部分)〕。光興以前に輪郭線として片切彫を用いる場合は、モチーフ側を深く、外に向けて浅く彫り刻むことで輪郭のシャープさを際立たせる彫りが普通であった。しかし光興の片切彫には、従来の用法に加えて、モチーフ側を浅く広く面的に表し、片切彫の線一筋で輪郭からモチーフの面までを一体的に表現する手法〔図5(部分)〕が散見される。「花見西行図鐔」〔図6〕を見ても、全体を構成する片切彫に宗珉や長常らのそれと大きな違いは無いが、牛に乗る人物の臀部や左手の袖など、要所には図5の風炉と同様の面的な表現が認められる〔図6(部分)〕。光興は、それ以前であれば肉ししあい合彫(注6)で表現したであろうレリーフ状の立体感を片切彫で表し、彫りに単なる説明以上の意味を持たせた。生命を吹き込んだといってもよい。また光興は同時代の京都の絵師、岸駒に下絵を提供してもらうなど制作上の交流があり(注7)、宗珉、長常同様、刀装具の絵画的表現に強い関心を持っていた。ただ宗珉と光興では、モチーフの質感を彫りだけで表すという点では一脈通じるところはあるが、宗珉のニュアンス表現が「軽妙であること」に粋を見いだしている一方、光興の表現は質感へのこだわりが強い点で異なる。また長常と光興を比べると、長常の作品には完成された絵画作品を忠実に再現すること、つまり「似せること」自体への興趣が強いが、光興の作品は彫金における「筆意」─該当することばがないが、造語で置き換えるならば「彫意」か─へのこだわりが強い点で、目指すところは異なっていた。奇しくも宗珉、長常、光興という片切彫の名手で知られる3人は、それぞれおよそ半世紀を経て登場した。その三者三様と呼ぶべき片切彫の活かし方は、この技法の時系列の発展を示すものでもある(注8)。光興の片切彫は宗珉・長常らの時代から続く、筆を鏨に置き換えるという発想を継承しつつ、独自の創意によってこれを発展させるものであった。4.内・外の自覚と表現の拡がり大月光興が片切彫の線を面的に応用したことで、片切彫にはまたひとつ、新しい表現が加わった。しかし、大月派門人による光興の受容はいたって限定的であった。確かに同派の図様に多く登場するモチーフ、たとえば樹木表現などでは内側を浅く彫る― 67 ―― 67 ―

元のページ  ../index.html#77

このブックを見る