鹿島美術研究 年報第35号別冊(2018)
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宗教主題と関連する詩人達の著作の場面を挿入し、鑑賞者の関心をルネッタへ誘導する工夫が行われていると考えられるのだ。要するにピントゥリッキオによる古代研究の成果をシニョレッリは逸早く新礼拝堂に導入し、かつそれを機能的に演出していると考えられる。この見解は、グロテスク装飾のモチーフをもピントゥリッキオに倣っていることからも裏付けられるのである。ピントゥリッキオ工房のグロテスク装飾との類似前述したように、新礼拝堂の壁画に関する契約書は、入口のルネッタを除いて、既にシニョレッリによって素描が用意されていたことを伝えており、腰壁も素描に従って、「格子枠とスピリテッレ(spiritelle)を伴った枠に絵を描く」ことを義務としたという(注12)。このspiritelleなる語がダコスによってはグロテスク装飾を指していると見なされたが(注13)、この語は当時プットを意味する言葉であったことが、デンプシーのプットに関する研究により明らかにされている(注14)。準備素描にはプットが描かれていたのだが、後に見るように、実際にはトリトンやネレイデスの意匠の方が目立つため、より古代的な装飾の語彙が、制作の段階になって新たに追加されたと見なされるのである。新礼拝堂のグロテスク装飾について、まずは入口の《世界の終わり》と祭壇壁の上部の枠縁に描かれたもの〔図3〕を例に取り見てみたい。入口の枠縁にはプットが載った、トリトンに馬の前足が生えた怪物が左右反転して描かれ、尾の上には水盤が載っている。祭壇壁側の枠もモチーフは同様であるが、トリトンの姿勢が内向きに配され、間にはグリーンマンを飾る、逆ハート形の花綱が描かれている。これら半人半魚のモチーフは古代風で目を引くだけでなく、長い尾で水平な空間に変化をつけるに都合が良かったのか、新礼拝堂の腰壁のフリーズや基底部など、頻繁に用いられている。しかし意外にもこのような複雑で古代的な装飾のモチーフは、以前のシニョレッリの壁画装飾事業には全く見受けられず、新礼拝堂において新たに導入されたものといえるのだ。その装飾の供給源は、ドムス・アウレアのみならず、やはりその他の古代遺物をも装飾の語彙として取り入れていた、ピントゥリッキオにあったと筆者は推測する。実際、先の新礼拝堂のグロテスクは、ピントゥリッキオによる「ボルジアの間」のグロテスク〔図4〕との類似が指摘できる。さらにモチーフだけでなく、各モチーフ― 78 ―― 78 ―

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