『公証人トンマーゾ・ディ・シルヴェストロの日記』と終末的予兆章では新礼拝堂装飾プログラムの助言者についての議論に分け入りたい。近年の研究では助言者として、オルヴィエートの大助祭であったアントニオ・デリ・アルベリ(在位?-1503年)の名が挙がっているが、本稿では今一度大聖堂造営局の人的関係に深く分け入り、本章で述べた造形上の問題と関連付けながら、これを裏付ける必要がある。何故ならアルベリとは、大助祭に加えて、シエナの枢機卿フランチェスコ・トデスキーニ・ピッコローミニの秘書を兼任していた人物だったからだ。そしてピッコローミニは周知の通り、1502年にピントゥリッキオに、シエナ大聖堂に付属する私設図書館の装飾事業を「グロテスク装飾で飾る条件付きで」、委託した人物であった(注18)。つまりアルベリとピッコローミニの両者の関係から、新礼拝堂に古代趣味が導入された可能性が示唆されるのである。3.新礼拝堂装飾事業の助言者としてのアントニオ・デリ・アルベリ1章で述べたとおり、ヴォールトの主題は地元の神学家(magistros sacre pagine)の助言を受けて決定されており、従来この神学家がアルベリと結び付けられ、そこから彼が新礼拝堂装飾事業の助言者ないし中心人物であったと考えられてきた(注19)。そしてアルベリが助言者である可能性の蓋然性を、さらに推し進めたのがリースである。リースは、大聖堂参事会の書記官であった、公証人トンマーゾ・ディ・シルヴェストロの『日記』(1482-1514年)の1499年11月(シニョレッリが新礼拝堂のヴォールトを描いている頃であった)の次の記述を引き、これを新礼拝堂に底流する終末思想と結び付けている。オルヴィエートの大助祭であるアントニオ様が、彼の管財人であり、オルヴィエートの大聖堂参事会会員でもある、セル・アンドレアへ、シエナから書簡をお送りになった。それは(中略)グッビオの書簡から情報を提供されたことを伝えるものであった。今年1499年の9月29日の聖アグネスの日の日中から、ひどい天気が雨、風、雹、雷を伴ってグッビオを襲ったという。恐ろしい赤と黒の雲が、醜く、汚らしい男のように現れ、その男は意味の不明な、雷鳴のように鳴り響く音を伴い、鋭く叫んでいるようであった。また大きな彗星、大鎌、六つの星が現れていた。そしてその三つは赤く、残りの三つは黒く、恐ろしい様相を成していたという。それらに倣って、アントニオ様はかつて起こったこれらの出来事の描写を添えて、もう一つ書簡をお送りなさったのである。主よ、我らを救い給え(注20)。― 80 ―― 80 ―
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