鹿島美術研究 年報第35号別冊(2018)
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めて具体的に検討し明らかにすることを試みたい。永嘉(現浙江省温州市)出身の王振鵬は、14世紀前半、元代の宮廷画家として活躍した(注3)。現存する伝称作品の中で、代表的かつ本数が多いものは、北宋時代の宮苑である金明池で行われた「龍舟競渡」という行事を白描の技法で描く作品群である(注4)。これら諸作品は、「宝津競渡図」、「龍池競渡図」など用いられる作品名が現状では不統一であるが、いずれもモチーフが共通し、表現や構図がほぼ同一の様式を有することが先行研究によって指摘されている(注5)。そこで本稿では、「龍舟競渡」を主題とし王振鵬に帰す不特定の白描画を指す場合、呼称を「龍舟競渡」図に統一し、個別の作品について言及する際は作品名を記すこととする。台北故宮博物院所蔵「龍池競渡図」〔図2〕は絹本水墨で、縦が30.2cm、横が243.8cm、白描の技法が用いられた1巻である。巻頭には大型の龍舟が、旗を翻す龍頭船と虎頭船の4隻に前後を守られ前進している。続いて池の中央に楼閣と拱橋が横に連なっており、橋の下を1隻の舟が通り抜けるように描かれている。拱橋から視線を前に進めると、勢いよく櫂を漕ぐ11艘の龍虎船が2列の小旗に囲まれた「標竿」を目指して疾走する。画巻の最後は、「宝津楼」と書かれた扁額を掲げた宮殿が聳え立ち、中と前に大臣が集まって、目前の行事を見つめている。台北1605本と「龍池競渡図」の構図及び図像を比較すると、台北1605本は、宮室と龍舟という「龍池競渡図」を成り立たせる基本的な要素を取り込んでいることがわかる。まず、台北1605本の湖中に配される拱橋と2つの宮室の構図は「龍池競渡図」の拱橋と「宝津楼」を繋ぐ場面に類似している。また、龍舟を見てみると、台北1605本に描かれた4隻のうち、画巻に向かって一番左に位置する龍舟が、「龍池競渡図」の巻首に描かれた楼閣の立つ大型龍舟に類似することがわかる。さらに、残りの3隻に見られる龍の頭に乗って旗を大きく振り上げる男性は、「龍池競渡図」にも見られる。そのほか、宮室の階段が水面に突き出ている点や、拱橋の下を舟が通り抜ける点も両図は類似する。ところで先行研究では、王振鵬の「龍舟競渡」図は、元代後期の工房において多数生産されていたとの指摘がある(注6)。明代の文献には、王振鵬の「龍舟競渡」図が書画収蔵家や鑑賞家たちにとって人気の作品であったことが記されており(注7)、蘇州片の「清明上河図」を手掛けた画家が、王振鵬の「龍舟競渡」図に描かれたモチーフを取り込む蓋然性と動機は十分にあると考えられる。― 89 ―― 89 ―

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