老人松鷹柏鷹図」(大倉集古館蔵)の左右幅や「花鳥図屏風」(個人蔵)など墨の変化に富んだ作例もある。興味深いのは、いずれも粗放な筆致が目立っている点で、ここに周信独自の筆法をみることができる。さて、線描主体は古信にも受け継がれていくが、古信は江戸後期狩野派につながる精緻な表現へと画風を転じていくことになる。古信筆「琴棋書画図屏風」(池上本門寺蔵)〔図8〕は、数少ない古信の大作であり、古信独自の描法が発揮された作例として非常に重要である。特に、樹木や岩の内には、周信以上に細かい墨線が、一定方向に規則的かつ執拗に描きこまれている〔図9〕。画全体を見渡すと、精緻に墨線を入れたモチーフは、まるで岩を削り出して作ったかのような重厚感がある。古信は、このような密なモチーフ描写に加え、彩色を細かく賦すことで格式高い画面を創り上げた。特に、金雲の周囲に青金、赤金の砂子をまき、赤、青、緑のカラフルな楼閣の瓦は一際目を引く。さらに岩や樹木には、淡い茶と青の二色で彩色が施されており、容貌表現でも濃淡の差をはっきりとつけて陰影を入れている〔図10〕。江戸後期の木挽町家8代狩野栄信や9代養信らの真体画でも、樹木や岩などに墨線を精緻に描き込んでいき、鮮やかな彩色を施した重厚かつ格式高い新様式が登場している(注11)。例えば、鮮やかな楼閣を有す栄信筆「楼閣山水図屏風」(静岡県立美術館蔵)も江戸後期の新様式として注目されるが、18世紀前期の古信筆「琴棋書画図屏風」のような画は看過できない。さて、狩野派の描法はこのように探幽以降様々に変化していくが、狩野典信筆「唐子遊図屏風」(板橋区立美術館蔵)や狩野栄信筆「桐鳳凰図屏風」(静岡県立美術館蔵)のように江戸後期にも探幽画とほぼ同じ図様の画が作られている。では、周信と古信の図様引用についても簡単に述べておこう。4.探幽図様と周信、古信画軸装の西王母や寿老人図など、狩野派で量産された作例を除くと、周信画において探幽の図様をそのまま用いている作品は未だ紹介されていない。周信筆「唐子琴棋書画図屏風」(個人蔵)の右隻に探幽筆「唐子遊図屏風」(宮内庁三の丸尚蔵館蔵)の図様が引用されているのを見出すのみだが、「唐子琴棋書画図屏風」は印のみが捺され、左右隻の筆が異なるなど注意が必要な作例でもある(注12)。一方、探幽画との図様の類似が指摘されているのは、実質古信の跡を継ぐ典信であるが、古信も探幽の図様を積極的に用いていた可能性がある。古信筆「琴棋書画図屏風」では、右隻の第1・2扇目の最近景の岩や土坡の組み方― 107 ―― 107 ―
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