鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
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が、これらが古信の本画においてどのように活かされたかについては、若くして歿したためか、見出し難い。ただし、従来の狩野派とは異なる古信の彩色や精緻なモチーフ描写に、強烈な個性を発揮し改革を進め、絵画にも関心を寄せた吉宗の影響が皆無だったと言い切るのは難しいのではないか。また、古信には花鳥画が多く残っており、特に「松に鷹図」(池上本門寺蔵)の、席画でありながら破綻のない堂々とした鷹の姿に写生の成果を見出したくもなるが、いずれも慎重に考察を重ねたい。さて、もう一つ吉宗と絵画について看過できないのは、吉宗自らも常信を師として狩野派の画を学び、探幽を信奉していたことである。吉宗の家臣で紀伊家から吉宗に従った岡本善悦(1689~1767)は絵画史研究でもよく知られており、善悦が探幽晩年の弟子松原探梁に探幽の様子を聞き取り、探梁の家に伝わる探幽の刷毛を吉宗に見せたところ、吉宗が大変喜んで同じ刷毛を作らせた有名な逸話も残る。若き古信は第二の探幽として期待を寄せられ、積極的に探幽の図様を学習しながらも、画風は新様式を模索したのかもしれない。そして、次代の典信による積極的な探幽学習というのは、父古信が模索していた方向を引き継いだのではないだろうか。結語周信、古信をはじめとする18世紀の狩野派の作品は多く残るが、本稿では紙幅の都合上、一部の作品に絞り、周信と古信の画業を考察した。周信と古信は明らかに探幽とは異なる画風をそれぞれ形成しており、特に古信では江戸後期の狩野派に繋がる要素が認められた。ただし、真行草の画体、漢画、大和絵、大画面、小画面など様々な要因によってその画風は変化するので、今後さらなる考察が必要であろう。周信、古信という空白期が埋まることで、まずは狩野派の中心となる木挽町家研究が緒に就く。また、周信については「戯画図巻」(大英博物館蔵)、「桜花武者図」(ベルリン東洋美術館蔵)のような珍しい画題も描いている。現存不明だが、浮世絵に通じる「美人遊興図」も確認されており、その制作背景は興味深い。江戸狩野派研究は未だ始まったばかりであるが、従来注目されてこなかった時代や家について、今後も考察を加えていきたい。付記本稿執筆にあたり、池上本門寺、熊本城総合事務所、郡山城史跡・柳沢文庫保存会、埼玉県立歴史と民俗の博物館、渡辺美術館、個人の御所蔵家の方々には、作品調査や― 109 ―― 109 ―

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