⑪江戸時代の絵画における特殊な基底材の使用に関する基礎的研究はじめに日本の絵画の基底材、すなわち絵の下地になる支持体には、麻や絹、紙や板をはじめ、金や銀、雲母など、さまざまな素材が用いられてきたが、従来の美術史研究では、主に仏画や中世の屛風を中心に、基底材と表現との関わりが論じられており、多様な素材と技法が、表現にあわせて選択されたことが指摘されてきた。だが、江戸時代以降には、中国の書画などの影響を受け、絖や金箋といった、それまでには使用されてこなかった素材も用いられるようになる。とりわけ日本の文人画(南画)において、絖を積極的に使用した早い例としては、与謝蕪村(1716~83)がよく知られ、蕪村のマチエール表現と基底材との関連性については、執筆者も何度か言及してきた(注1)。一方、はじめ蕪村に師事し、のちに円山応挙(1733~95)へと接近した呉春(1752~1811)の代表作である「白梅図屛風」(逸翁美術館蔵、重要文化財、以下「白梅図」と略す)〔図1〕にも、かなり特殊な基底材が用いられているが、国の重要文化財指定では「絹本墨画淡彩」として絹とみなされており、特殊な基底材が何であり、なぜそうした基底材が選ばれたのかという問題は、十分に解明されていない。そこで、執筆者は近年、この「白梅図」について、多角的な視点から考察をおこない、以下のような可能性を提示した(注2)。第一に、呉春が「白梅図」を描く直接的な契機になったのは、円山応挙や皆川淇園(1735~1807)と同行した「梅溪紀行」で、その際にスケッチとして描かれた「梅溪紀行図屛風」(個人蔵)で応挙と同じ紙の上に描いた作画体験が、呉春の「白梅図」制作に大きな影響を与えたのではないかという点。第二に、全体を浅葱色で彩った「白梅図」の背地表現には、呉春が蕪村から学んだ中国絵画の伝統的な夜景表現が反映されていると想定される点。第三に、「白梅図」に類似した繊維組織として従来から指摘のあった葛布が、意外にも絵画の基底材としていくつか使用され、たしかに、それらの事例が、「白梅図」の基底材と類似しているとみなせる点。第四に、現状では確定できないが、もし、「白梅図」の基底材が葛布であるならば、呉春が池田時代に嗜んだ蹴鞠において、葛袴という葛布の袴を使用することと、何らかの関連性があるのではないかという点である。しかし、同考察では「白梅図」の基底材を、葛布と断定するには材料不足であり、肝心の基底材─呉春筆「白梅図屛風」(逸翁美術館蔵)を中心に─研 究 者:東京文化財研究所 研究員 安 永 拓 世― 114 ―― 114 ―
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