以弘に師事し、後に渡辺崋山(1793~1841)の弟子となった福田半香(1804~64)にも、遠江国出身の画家であることからか、葛布に描いたとされる作例として、弘化3年(1846)の年紀を有する「夏堂聴雨図」(洞善院蔵)がある。さらに、出身は筑後国ながら、後に幕臣の大岡家の養嗣子となった大岡雲峰(1765~1848)が描き、天保10年(1839)に大蔵謙斎(1757~1844)が賛をした「日金山富岳眺望図」(静岡県立美術館蔵)も、葛布に描かれていると指摘のある作品である(注7)。こうした葛布に描かれたとされる事例のうち、以弘筆「董法山水図」、「唐美人図」、「山水図」、雲峰筆「日金山富岳眺望図」を調査し得たので、以下、各基底材の特徴を述べたい。まず、以弘筆「董法山水図」の基底材〔図10〕は経糸に絹を用い、緯糸に葛らしき繊維を用いているようだが、緯糸の繊維は、それほどつぶれていない。一方、以弘筆「唐美人図」の基底材〔図11〕や以弘筆「山水図」の基底材〔図12〕は、いずれも経糸に木綿、緯糸に葛らしき繊維を用いているものの、「唐美人図」の方が組織の目が詰まっており、経糸はほとんど見えず、緯糸の繊維も強く押しつぶされている。また、雲峰筆「日金山富岳眺望図」の基底材〔図13〕は、裂を横使いしているため、経糸と緯糸が逆になっているが(〔図13〕は90度回転してある)、やはり経糸に木綿、緯糸に葛らしき繊維を用いており、緯糸は比較的細く、織り目にもやや隙間がある。このように、各基底材にはいくつかの相違点があり、とりわけ以弘筆「唐美人図」では、基底材を表面から叩くなどして平滑な面を意図的に作っているようなので、単純な比較はできないものの、緯糸の葛とされる繊維に関しては、ある程度、類似した繊維とみなせるのではなかろうか。さらに、描いた画家の出身地や、伝来、主題などから考えて、ひとまず、葛布である可能性は高いといえそうだが、では、こうした事例に使用されているのは本当に葛布なのだろうか。本研究では、その点を検証する必要から、現在も葛布の制作をおこなっている葛布制作工房「大井川葛布」において葛布の制作工程を体験し、現在作られている葛布との質感や繊維組織の確認をおこなった。現在の葛布の制作工程は、江戸時代から継承されているものではないが、現状の工程は、①葛の蔓を採取→②葉を落とす→③煮沸→④室に入れて枯草菌で発酵→⑤発酵させた葛の蔓を洗いながら表皮と芯を除去して繊維のみの葛苧を抽出→⑥乾燥→⑦葛苧を割いて糸にする→⑧糸を結んでツグリを作る→⑨経糸に絹あるいは木綿を用い、緯糸に葛を用いて葛布を織る→⑩織り上がってからの砧打ち、である(注8)。こうして制作した葛布〔図14〕と、前述の葛布とされる基底材の組織拡大図を比較― 117 ―― 117 ―
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