鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
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してみると、次のような共通点が指摘できよう。第一に、経糸に絹または木綿を用いた交織であるという点。第二に、緯糸の葛糸は、繊維が平板で経糸方向から光を当てても管状あるいは束状にならないという点。第三に、緯糸の一つの繊維の単位の大きさや太さに、かなりの差があるという点である。このうち、第二点は、制作工程の最終段階で砧打ちをして繊維を強く押しつぶした結果とも考えられるが、いずれにせよ、こうして得られた葛布の特徴は、実は、呉春筆「白梅図」の基底材の特徴と、必ずしも一致していないことがわかってくるのである。3.葛布以外の可能性の検討呉春筆「白梅図」がそうであったように、基底材が絹とみなされている作例の中にも、特殊な基底材を用いた事例が含まれていると想像される。よって、本研究では、特殊な基底材を用いているとみられる作例について広く情報収集し、葛布以外の可能性についても検討した。その際、絵画の基底材に限らず、染織資料も比較対象に含めたところ、結果的に、呉春筆「白梅図」の基底材に類似した絵画・書跡の基底材として9点、染織資料として3点の事例を確認した。以下、それらを紹介する。まず、葛布にかなり近いものとして挙げたいのが、大坂出身の藪長水(1814~67)が描いた「花鳥図屛風」・「撫呉月渓山水図屛風」(泉屋博古館蔵)の基底材〔図15〕である。これは、経糸に木綿を用いているとみられるものの、緯糸の形態や質感は、以弘筆「董法山水図」と類似しており、葛布と想定されよう。また、尾張国出身の勾田台嶺(?~1825)が文政4年(1821)に描き、巻菱湖(1777~1843)が賛をした「山水図」(個人蔵)の基底材〔図16〕は、経糸に絹を用いているようだが、緯糸は扁平ながら太さに変化があり、雲峰筆「日金山富岳眺望図」の緯糸に似ているため、葛布とみなしておきたい。一方、江戸を代表する文人画家である谷文晁(1763~1840)が描き、紀伊国出身の儒学者である崖南嶠(1769~1813)が賛をした「墨竹図」(和歌山市立博物館蔵)の基底材〔図17〕をはじめ、尾張国出身の巣見来山(1753~1821)が文化5年(1808)に描いた「秋景山水図」(個人蔵)の基底材〔図18〕や、同じく巣見来山筆「雪景山水図」(個人蔵)の基底材〔図19〕、やはり尾張国出身の儒学者である中野龍田(1756~1811)が文化6年(1809)に書いた「七言律詩書」(個人蔵)の基底材〔図20〕は、経糸・緯糸ともに同じ繊維とみられるが、経糸と緯糸の太さの差が大きく、経糸には1本か2本、緯糸には5本から10本程度の繊維を束にして用いている。また、経糸方向から光を当てると緯糸が管状の繊維に見え、かかる特徴は、まさしく呉春筆「白梅― 118 ―― 118 ―

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