図」の基底材の特徴と一致するものといえよう。これら後者4点の基底材は、葛布とされたことはなく、〔図18~20〕は、杉本欣久氏が「唐絹(とうぎぬ)」と指摘したものだが(注9)、どうやら呉春筆「白梅図」の基底材と近しい関係にありそうなのである。だが、呉春とも活躍時期の近い、摂津国西宮出身の勝部如春斎(1721~84)が描いた「鯉図」(個人蔵)の基底材〔図21〕は、これら4点と葛布との中間的な特徴を示す(注10)。たとえば、経糸は緯糸と同じ繊維のように見えるが、経糸と緯糸の太さの差が少なく、また、拡大写真の上下の部分の緯糸は扁平につぶされているのに、中央の二本の緯糸は管状のまま残されているのだ。さらに、その管状の形は、来山筆「秋景山水図」などの緯糸と近似しているが、扁平につぶされた上下の部分の緯糸は、葛布とされる以弘筆「山水図」ともよく似ている。こうした状況から、執筆者はかつて、如春斎筆「鯉図」の基底材を、両者の中間に位置づけ、管状の繊維を叩いて扁平につぶすと、葛布のような基底材になるのではないかと類推した(注11)。さらにその後、葛布を用いたとされる染織資料の一つとして、火事装束の一部とみられる「胸当」(個人蔵)が見つかり、同資料の組織〔図22〕が、先の4点や呉春筆「白梅図」の基底材にきわめて近いことが確認されたのである。したがって、この胸当が葛布ならば、呉春筆「白梅図」の基底材も葛布と認めてよいのではないかと考えられたのだが、意外にも全く別の作例から、その想定は大きく覆されることとなった。4.芭蕉布の可能性呉春筆「白梅図」の基底材が葛布であるという可能性を、大きく揺るがせたのは、江戸詰めの鳥取藩のお抱え絵師である沖探容(?~1839)が描いた「四季山水図屛風」(鳥取県立博物館蔵)という6曲1双の屛風である(注12)。まず、6曲1双の屛風でも同種の基底材を用いた作例があると判明した点は、非常に意義深かったが、さらに、この屛風の本紙は、縦各128.1cm、横各361.2cmで、上部からおよそ36cmから40cm前後の幅の裂を3枚縦に貼り継ぎ、最下部のみ約15cmほどの幅の裂を貼っている。つまり、用いている裂幅が約35cmであった「白梅図」と近い数値を示している点も見逃せない。加えて重要なのは、この屛風の基底材〔図23〕が「白梅図」のものと近似しているのを確認できたことだろう。だが、最も大きな収穫だったのは、近年この屛風を修理した際の修理報告書が残されており、その報告書中に、基底材が芭蕉布で、補修にあたっても元々補強のために用いられていた芭蕉布を使用したと記されていた点である(注13)。― 119 ―― 119 ―
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