そもそも芭蕉布は、琉球や沖縄を代表する染織資料としてよく知られているが、絵画の基底材として使用された例は、あまり知られていないのではなかろうか。しかし、あらためて調べてみると、沖縄では書跡の基底材として芭蕉布が使用されている事例を3点ほど確認することができた。以下、それらの調査結果を提示したい。まず挙げられるのは、琉球王国の官僚であり、書家としても知られた鄭嘉訓(1767~1832)が書いた「諸家詩書巻」(沖縄県立博物館・美術館蔵)で、16種の詩を収めた巻子装での作例である(注14)。その基底材〔図24〕は、平織りで、経糸2本が寄り添っているほか、経糸・緯糸ともに撚りがなく、緯糸は経糸の5本分から10本分の繊維を束にしたような管状の繊維となり、呉春筆「白梅図」と同様の特徴をもつ。次に挙げるのも、同じく鄭嘉訓が書いた「七言絶句書」(沖縄県立博物館・美術館蔵)で、基底材〔図25〕は強い褐色を帯び、経糸が繊維2本ずつとなってやや太く見えるものの、全体的な特徴は変わらず、呉春筆「白梅図」の基底材との強い共通性がうかがえよう。最後に挙げるのは、岐阜県参事や和歌山県書記官等を務めた官僚の後藤敬臣(1838~97)が書いた「七言絶句書」(沖縄県立博物館・美術館蔵)で、敬臣は、明治16年(1883)12月に内務省准奏任御用掛として沖縄へ出張しており、本作も八重山役所長や首里役所長を歴任した西常央(1848~1900)の旧蔵品であることから、敬臣が沖縄滞在中に書かれたものと考えられる。その基底材〔図26〕も、呉春筆「白梅図」の基底材と同じ特徴である。以上3点の事例は、いずれも制作者の出身地や伝来等を考慮すると、琉球や沖縄と深い関係があるもので、琉球特産の芭蕉布を基底材に用いたのは、おそらく間違いない。よって、芭蕉布を基底材とした基準的な作例になるとみられるが、さらに芭蕉布を用いた染織資料2点からも、これを補強しておこう。まず1点は、「シルチョウ(芭蕉無地上衣)」(沖縄県立博物館・美術館蔵)で、琉球における婚礼時に花嫁が頭に被る衣として用いたものとされ、その織組織〔図27〕は、上記3点の書跡の基底材と同様の特徴を備える。もう1点は、「黒朝衣」(沖縄県立博物館・美術館蔵)という琉球の男性の官服で、地色が黒いのでわかりにくい部分はあるが、やはり織組織〔図28〕は上記3点の基底材と類似する。すなわち、こうした染織資料の事例からも、先の書跡3点の基底材が芭蕉布であることが裏付けられるといえよう。だが、ここで注意を要するのは、現在沖縄で制作されているものをはじめ、江戸時代のものを含めた一般的な芭蕉布〔図29〕は、経糸・緯糸ともに撚りがかかったもの― 120 ―― 120 ―
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