注⑴安永拓世「与謝蕪村が描いた光─その手法と時代性─」(『紫明』第21號、紫明の会、2007年)、同「蕪村画に見る素材への感応」(『与謝蕪村─翔けめぐる創意─』MIHO MUSEUM、2008年)などを参照。を用いた理由や表現効果を個別に検討することはできなかったが、少なくとも呉春が芭蕉布を用いた意図についてだけは、最後に若干の見解を述べておきたい。呉春が「白梅図」に、蕪村や応挙との交流に関する記念碑的な意味を込めた可能性については前稿でも言及したが(注16)、かかる前提として、呉春における蕪村筆「鳶・鴉図」(北村美術館蔵)の学習があることに注意を促したい。蕪村の「鳶・鴉図」が、松尾芭蕉(1644~94)、向井去来(1651~1704)、蕪村という三者のイメージを表現した、トリプルイメージの絵画であることについては、以前、執筆者が指摘したが(注17)、蕪村の弟子として俳諧師としても活躍し、松尾芭蕉の肖像画などを残している呉春であるならば、基底材としての芭蕉に、松尾芭蕉のイメージを重ね合わせた可能性は十分に考えられよう。すなわち、呉春の「白梅図」がモニュメンタルな作品であることを念頭に置くならば、一双の画面の中に描かれている三株の梅に、俳諧師としての芭蕉、蕪村、呉春の姿が、そして画家としての蕪村、応挙、呉春の姿が重層的に投影されていると解釈してもよいのかもしれない。いわば、呉春にとっての「白梅図」は、蕪村の「鳶・鴉図」の、きわめて高度なオマージュであり、こうした点においても、呉春の蕪村画学習の成果が、最大限に発揮された作例と位置づけられるのである。⑵安永拓世「呉春筆「白梅図屛風」(逸翁美術館蔵)をめぐって」(奥平俊六先生退職記念論文集編集委員会編『畫下遊樂(二) 奥平俊六先生退職記念論文集』藝華書院、2018年)を参照。⑶前掲注⑵論文を参照。⑷分析には、仙海義之氏(逸翁美術館館長)をはじめ、早川典子氏(東京文化財研究所保存科学研究センター修復材料室長)、山府木碧氏(同研究補佐員)、岡部迪子氏(同研究補佐員)、菊池理予氏(同無形文化遺産部主任研究員)、濱田翠氏(埼玉県立歴史と民俗の博物館学芸員)のご協力を得た。また、分析機器には、Agilent 4300 handheld FTIRを用いた。⑸山川武「梅林図屛風」(山川武編『日本美術絵画全集 第22巻 応挙/呉春』集英社、1977年)、星野鈴「白梅図」(山川武編『日本屛風絵集成 第8巻 花鳥画─花鳥・山水』講談社、1978年)に粗い紬地や節糸との記載が見られ、以下、これが踏襲されたものと想像される。⑹奥平俊六「近世絵画ノート3 蕪村の金屛・銀屛」(『古美術』95、三彩社、1990年)を参照。⑺村松以弘筆「董法山水図」と「唐美人図」、福田半香筆「夏堂聴雨図」の全図は、田原市博物館編『福田半香展』(田原市博物館、2006年)、村松以弘筆「菊花小禽図」の全図は、掛川市二の丸美術館編『幕末~明治の画家たち 郷土の文人画』(掛川市二の丸美術館、2001年)、大岡雲峰筆「日金山富岳眺望図」の全図は、静岡県立美術館編『富士山の絵画展』(静岡県立美術館、― 122 ―― 122 ―
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