ンや、アンジェにおいて国際美術文学連合が開催した展覧会「人民美術館(Le Musée du Peuple)」への出品作品を再検討し、カンディンスキーのパリおよび近郊のセーヴルへの滞在時期周辺に焦点をあて、フランスの象徴主義との接点を明らかにすることを目的とした。2.『新傾向』誌前述のとおり、『新傾向』誌は、国際美術文学連合(以下、「連合」とする。)の機関誌となった雑誌である。連合には、象徴主義の作家ポール・アダム(Paul Adam, 1862-1920)、彫刻家のロダン(Auguste Rodin, 1840-1917)、音楽家のヴァンサン・ダンディ(Vincent dʼIndy, 1851-1931)を筆頭に、名誉会員としてアルベール・ベナール(Albert Besnard, 1849-1934)、ウジェーヌ・カリエール(Eugène Carrière, 1849-1906)といった画家、美術批評家のギュスターヴ・ジェフロワ(Gustave Geffroy, 1855-1926)、クロード・ロジェ=マルクス(Claude Roger-Marx, 1859-1913)といった面々が名を連ねた。連合は芸術家自身がさまざまな立場や国の人々にその作品を直接かつ自由に紹介することができるよう創設された。機関誌『新傾向』は、フランス国内の地方、そして国外にも広く行き渡る国際的な雑誌であることが強調され、寄稿は、英語、ドイツ語、スペイン語、イタリア語でも可能であった。連合の事務局は、パリのロシュシュアール通りにあった。連合の事業は機関誌の出版のみならず、会議の開催、劇の上演、ミュージカルのオーディション、美術作品の展覧会、小説や詩などの著作物の刊行、旅行奨学金の設立などがあった。編集長のアレクシス・メロダック=ジャノーはフランス北西部アンジェ出身の画家であり、同地の美術学校に学んだ後、パリの美術学校に出入りしてギュスターヴ・モロー(Gustave Moreau, 1826-1898)に学んだとされている。また、途中から用いられた「メロダック」というペンネームは、ジョセファン・ペラダン(Joséphin Péladan, 1858-1918)に由来するものであった(注7)。初期の作品としては、《狂者たちの庭(La Cour des folles)》〔図1〕といった夢遊病や神経症を連想させる女性たちを描いた象徴主義的な作品が残っている。メロダック=ジャノーは、ソシエテ・デ・ザルティスト・ザンデパンダン(Société des Artistes indépendants)の展覧会(以下、サロン・デ・ザンデパンダン)に1896年から出品している(注8)。1902年の出品作《スペイン人、市場からの帰り(Espagnoles, retour du marché)》〔図2〕は、後景の幻想的な色彩が特徴的な作品である。一方、ソシエテ・ド・サロン・ドートンヌ(Société du Salon dʼautomne)の展覧会(以下、サロン・ドートンヌ)には、1904年のみ出品歴が― 128 ―― 128 ―
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