鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
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3.パリのサロンへの出品これらの掲載に先立って、カンディンスキーはサロン・ドートンヌにおいて木版画を多数発表していた〔表1〕。初出品は、1904年のサロン・ドートンヌである。この年は、『新傾向』誌の創刊、展覧会開催の年であり、メロダック=ジャノーがサロン・ドートンヌに出品した唯一の年でもある。水彩画9点、木版画9点が出品され、水彩画については、バーネットによって6点の作品が同定されており、いずれもカンディンスキーが彩色ドローイングに分類した作品にあたる。古い童話や伝説を想起させるロシア風の衣装を身につけた僧侶や女性、鎧姿の騎士、クリノリンスカートの女性たちのいる海辺などの主題は、前述の『言葉なき詩』をほとんど踏襲している。翌1905年のサロン・ドートンヌには、絵画6点、装飾芸術のための図案2点、リトグラフ(?)4点を出品したという記録がある。このうち9点がバーネットによって同定されており、《商人たちの到着(Arrivée des marchands)》〔図7〕、《夕暮(Vers soir)》〔図8〕が含まれる。これらもまた、『言葉なき詩』の主題を繰り返し描いたものであり、《商人たちの到着》は黒色で地塗りされたカンヴァス、《夕暮》は黒色の紙の上に不透明水彩で描かれている。すなわち、カードボードなど紙を支持体とする比較的小さなものを彩色ドローイングと見做していたものと思われる。また、バーネットは、展覧会カタログ中ではリトグラフとされている作品4点をカードボードに描かれた彩色ドローイングであると推定している。これらは、カンディンスキーとガブリエーレ・ミュンター(Gabriele Münter, 1877-1962)が1904年12月末から1905年4月5日まで滞在したフランス領チュニジアの風俗に取材したものであった。カンディンスキーとミュンターは1906年5月22日にはパリに到着し、ユルスリーヌ通り12番地にある家具つきの下宿を借りた。その後、6月28日にセーヴルのビネル通り4番地に移り住み、1907年6月初頭まで滞在した。セーヴル滞在中にあたる1906年のサロン・ドートンヌでは、絵画6点、ドローイング3点、木版画4点、ミュンターと共作した手提げや子供用のポシェットなどの装飾芸術7点が出品された。翌1907年、カンディンスキーはサロン・デ・ザンデパンダンに、少なくとも彩色ドローイング4点を含む絵画6点を出品している。同年のサロン・ドートンヌには、絵画6点、ドローイング1点、木版画4点を出品しており、この年に《多彩な生(Vie mélangée)》〔図9〕が出品された。ここで特筆したいのは、1904年、1906年、1907年のサロン・ドートンヌに出品された木版画は、後述する通り、1907年5月にアンジェで開催された「人民美術館」に出品された木版画とおおよそ名称が一致するということである。このため、「人民美術― 130 ―― 130 ―

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