館」における木版画の展示については、パリのサロン出品作品の回顧展的な要素をもっていた可能性が高い。それ以降の出品点数は〔表1〕にも示した通り減少しており、1908年6月のミュンヘン移住後は、カンディンスキーのパリでの活動は後退していったといえる。4.「人民美術館」「人民美術館」は、連合、とりわけアレクシス・メロダック=ジャノーが館長=創設者として関わり、1907年5月にアンジェで開催した二度目の展覧会である。フランス国立図書館所蔵の展覧会カタログによれば、カンディンスキーはロシアの作家として計110点(nos.1059-1168)を出品した(注16)。ファインバーグによれば、アンジェの日刊紙では次のように報じられている。「バジール[Basile]・カンディンスキーの網羅的な作品(109点)。注記:《エスキース(Esquisse)》、《水辺(Au bord de lʼeau)》、《馬乗りの散歩(Promenade à cheval)》、《民族の混合(La Confusion des races)》、《祝日(Jour de Fête)》、《波乱(Accident)》、《騎手(Cavaliers)》、《夕暮(Vers le soir)》、《ヴェニス(Venise)》、《マルディ=グラ(Mardi-Gras)》など。カンディンスキーの色彩豊かで力強い作品は、この会議の重要な関心事のひとつである」(注17)。実際の展示数とカタログの記載に差異があるのかはわからないが、カタログによるのであれば、絵画20点、彩色ドローイング(dessin)34点、木版画(gravure sur bois tirée à la main)20点、油彩小習作(étude)36点が出品されたものと思われる。先行研究において、本展への出品作と同定されている作品は多くはない。レーテルとベンジャミンによれば、《アフティルカ─庭園(Achtyrka-Parc)》(HL I KÖ 3, RB30)、《レーゲンスブルク近郊の風景(Paysage près de Regensburg)》(HL I KÖ 9, RB101)、《カルミュンツ―日没(Kallmunz-Coucher de soleil)》(HL I KÖ 10, RB102)といった油彩小習作、バーネットによれば、《祝日(Jour de fête)》(HL FZ 101, B192)、《ヴェニス(Venise)》(HL FZ 119, B213)といった彩色ドローイング、そして1907年のサロン・ドートンヌにも出品された《多彩な生(La vie mélangée = Das Bunte Leben)》〔図9〕である。ファインバーグによれば、前述した日刊紙で言及されている《民族の混合(La Confusion des races)》(no.1068)は、この《多彩な生》にあたり、木版画のうち4点(nos.1096-1099)は、ハンドリストから《鏡(Miroir)》、《狩人(Chasseur)》、《トランペット(Trompette)》〔図10〕、《僧侶(Moine)》であると同定できる(注18)。いずれも、彩色ドローイングと手法的に親和性のある、黒地の版に色版を重ねた多色刷りの木版― 131 ―― 131 ―
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