注⑴「ハンドリストⅠ」は、木版画、油彩、油彩小習作、彩色ドローイングの記録にあたる。このほか、「ハンドリストⅡ」nos. 62-243, nos. 244-370(1909-1926)、「ハンドリストⅢ」nos. 62-204(1909-1916)、「ハンドリストⅣ」nos. 371-738(1927-194)がポンピドゥー・センター、フランス国立近代美術館に収蔵されている。原資料未見。以下の文献により、〔表1〕および〔表1〕に登場しない本稿中の作品には、作品番号を附した。HLはハンドリストの番号を示すものである。FZはFarbige Zeichnungen、KÖはKleine Ölstudienの略記である。(R番号)Hans K.音楽的な主題の上に刻まれる。その筆先は、色調や音調のある振動性の波動(ondes vibratoires)を投影する」(注23)というのである。振動としての色調と音調という概念は、『新傾向』誌上の重要な関心事であった。『新傾向』誌の第35号(1908年4月?)に、画家であり作曲家のアンリ・ロベル(Henri Rovel, 1849-1926)が「絵画と音楽にとっての調和の法則は同一である」とする記事を寄稿しており、カンディンスキーは『芸術における精神的なもの』の中で、絵画における調和の法則を音楽に基づいて理論化しようと試みた例として、ロベルの記事を注記している(注24)。6.おわりに以上のように、パリのふたつのサロン、そして、国際美術文学連合が主催した人民美術館に出品されたカンディンスキーの作品を再検討すると、彩色ドローイングの手法や説話的な木版画は、少なくとも『新傾向』誌周辺では、重要視されていたということを指摘できると思われる。とりわけ、『新傾向』誌の編集長アレクシス・メロダック=ジャノーと同一人物とされるジェローム=マエスは、同誌上や『木版画集』において、暗闇に色彩のファンファーレを鳴らす先導者あるいは幻視者のような神秘主義的な芸術家としてカンディンスキーを賞賛しており、さらには振動としての色調や音調という理論と結びつけている。こうしたジェローム=マエスの視点は、ムルナウ時代以降、カンディンスキーが接近したルドルフ・シュタイナー(Rudolf Steiner, 1861-1925)の思想と親和性があるといえる(注25)。にもかかわらず、カンディンスキー自身はフランス滞在中の象徴主義との接触をあまり好意的に評価してはおらず、セーヴル滞在中は内面的に苦しいものだったと告白してさえいる(注26)。この点は、より実証的に検討すべき課題であり、ジェローム=マエス、メロダック=ジャノー周辺の象徴主義、さらには神智学との関係を明らかにする必要があると思われる。― 133 ―― 133 ―(文中敬称略)
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