鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
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り、これが本作を、艶かしい美女を表した風俗図というよりは、模範的な女性像を示した見本図のように見せる所以ともなっている。「真美人」の女性たちは媚態を振りまくのではなく、正しくあるべき姿を同時代の女性たちに示しているようにも思われる。また、西欧の価値観が流入したことで美人の条件も徐々に変化したが、重要な要素のひとつとして表情の豊かさが挙げられよう(注21)。本作の女性たちは控え目で慎ましくはあるものの目元や口元には感情や内面性がにじみ出ているようで、これは同時代の写真や石版額絵に表された無表情な女性たちと大きく異なる点である。このような特徴を持つ「真美人」の女性表現は、当時の人々の好みを反映し親しみやすく且つ普遍性を持つと同時に規範的であり、官民、老若男女いずれから見ても好ましいと感じられるものを目指していたのだろう(注22)。描線および彫りは極めて精緻であるが、陰影を用いない彩色も特徴的だ。他方、空摺りや布目摺りといった技法が多用されており、淡い色による繊細なグラデーションなど非常に凝った作りとなっていることがわかる。また鼻筋や手首にも空摺を施すことで、色彩や描線によらない形で立体感を表現しており、押絵のような風情がある。周延の作画姿勢は、古画を学び綿密な考証を重んじたものだった。菊池容斎の『前賢故実』などを参照して描かれた作品もあるが(注23)、本作の制作にあたり周延が参考にしていたことが明らかなものとして、図案集『奈留美加多』がある。明治半ばから30年代にかけて盛んに刊行され図譜・絵手本の一種であった図案集は、当初より輸出工芸である陶磁器や織物へ活用されることを主な目的としていた(注24)。『奈留美加多』は明治16年(1883)に、尾張七宝の図柄などを考案した名古屋の絵師、小田切春江によって編まれた古代中世文様集である。「真美人 二」〔図58〕で琴を弾く娘の錦帯の模様には『奈留美加多』第1巻所収の「東大寺辛櫃模様」の中の花喰鳥と牡丹唐花が用いられている〔図59〕。また「真美人 三十二」〔図60〕の幼女が着る被布の意匠として前述の図案と同書の「或家太刀袋の錦」〔図61〕を組み合わせて配している。4、「真美人」受容について先述のように明治期に入ると写真や石版画の台頭によって、浮世絵版画は勢いを失っていった。国内での浮世絵版画の売れ行きは明治20年代に落ち込み日清戦争で一時盛り返すかと思われるも、明治30年代以降の深刻な商況の低迷を打開することはできず、明治37年(1904)の日露戦争時に出版された新作の戦争錦絵は50点にも満たな― 142 ―― 142 ―

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