かったという報告もある(注25)。浮世絵版画不況のあおりを受けて老舗版元も苦渋の決断により暖簾を下ろさざるを得なかった中で、最後に残ったのは大黒屋(松木平吉)と、「真美人」の版元である滑稽堂(秋山武右衛門)の2軒のみであったが、日露戦争の後もこの2軒だけは新作の出版を続けた(注26)。滑稽堂は古画複製と新作版行に積極的で、輸出も盛んに行う版元であった。月岡芳年「月百姿」や水野年方「三十六佳撰」など新時代に即した作品の版行を手掛け、フェノロサ指導下の小原古邨による海外向け花鳥画の版行でも知られる。周延の作品の場合も、海外販路を見据え、計画的に制作を進めていったことであろう。「真美人」で描かれた女性はいずれも四分の三正面の姿勢を取るが、作中、左向きのものが19図、右向きが17図となっている。ブルース・コーツ氏は著書の中で、「二十六」の一図を除く偶数番号の作品が右向き、奇数番号が左向きになっていることを指摘しており(注27)、2図ずつ並べた場合奇数と偶数のものが向かい合うようになることから、河野結美氏は本作が画帖仕立てにされることを当初から想定して制作されたものと推測する(注28)。またボストン美術館には「真美人(二十七)」と「真美人 三十四」を明治43年(1910)のカレンダーに仕立てたものが収蔵されている。岩切信一郎氏は、カレンダーやクリスマスカードなどが浮世絵版画とは別の版木を用いた輸出品として制作されていたことを指摘している(注29)。先に挙げたカレンダー版「真美人」2図には版行年月日の記載はなく、もともと題字が入っていた余白部分には、横浜の川俣絹布製錬株式会社の社名が英語で記されている。岩切氏はまた、滑稽堂(秋山武右衛門)が旧蔵の版木を再利用して制作した輸出向け美人画カレンダーも紹介しているが(注30)、それらはみなカレンダー版「真美人」と同じく川俣絹布製錬株式会社の英字社名入りで、作品は右田年英、水野年方などによる美人画である。永田生慈氏が著書内で明治40年(1907)の滑稽堂の「出版画目録」を翻刻紹介しており、そこには周延「真美人」や年方「今様美人」(明治31年刊)、池田輝方「江戸の錦」(明治36年刊)などの作品名が見えるが同目録末尾には次のような文句が記されている。其他新版追々鑑製発行仕候歴史風俗画大小折本類種々揃御注文品画巻物本仕立扇子団扇カレンダー紙製品印刷物一式御好に応じ念入調整可仕候也」(「明治四〇年滑稽堂秋山部右衛門目録」※引用は永田生慈『資料による近代浮世絵事情』三彩社 1992、64頁)― 143 ―― 143 ―
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